天文19年(1550)7月2日 真田幸隆宛武田信玄宛行状
 真田家に伝わる最古の文書である。武田軍が村上義清の小県での拠点戸石城を攻めた、いわゆる戸石合戦の直前に、晴信(信玄)が幸隆(弾正忠だんじょうのじょう)に与えた書状。内容は、幸隆の数年来の忠節をほめ、もし思い通りうまくいったなら、諏訪形(上田市城下地区)と上条(やはり城下地区との説もあるが不詳)において1,000貫文の地を、幸隆に与える(宛行あてかう)と約束したもの。
 戸石合戦は武田方の敗北に終ったが、その翌天文20年、真田幸隆がこの城を、乗取ってしまう。この戸石城攻略により、幸隆は故郷を追われて以来10年ぶりに、本領真田へ復帰できた。またこの文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけである。後に幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものである。なお、これを含め本書所載の真田宝物館蔵文書(真田家文書)はすべて、県宝に指定されている。


長野市松代
真田宝物館蔵
其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏(訪)(形)参百貫ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。
天文十九庚戌
 七月二日 晴信(花押)
  真田弾正忠(幸隆)殿