永禄3年(1560)10月27日 真田幸隆宛武田信玄書状
 長尾景虎(上杉謙信)が飯山へ出陣するとの風聞があるので、城を堅固に守り、かつ城普請をしっかりしておくように、と信玄が幸隆に命じた書状。永禄3年、尼飾城在番衆として、海津築城普請にも従事中であった幸隆に宛てたものであろうと推定されている。

長野市松代 真田宝物館蔵
  「眞田彈正忠殿(折懸封紙ウハ書) 甲府」
風聞の如くんば、景虎飯山へ相移るの由に候。時宜如何にも心元なく存じ候。申すに及ばず候と雖も、在城衆と談合あり、城中堅固の備尤そなえもっともに候。将又はたまた、番中相当の普請御かせぎ肝要たるべく候。此の趣原与左衛門尉かたへ伝言たのみ入り候。恐々謹言。 「最前(別筆)より御判無之」
  十月廿七日
    眞田彈正忠殿