天正2年(1574)5月28日 武田勝頼書状
遠江高天神城攻囲中の勝頼が、幸隆または信綱に宛てた書状で、戦況報告にあわせ、幸隆(一徳斎)の病気を見舞っている。幸隆の病状が少し良くなったと聞いたとして、喜んでいるが、幸隆はその前、5月19日に既に死去していた。62才であった。
長野市松代
真田宝物館蔵
念を入れられ、節々脚力到来、珍重に候。先書に顕はし候ごとく、当城涯分油断なく諸口相稼ぎ候の故、本二三の
曲輪
【
くるわ
】
塀際まで責め寄せ候。落居十日を過ぐべからず候。昨今は種々悃望候と雖も、許容する能はず候。然して僥倖軒医療故、
一徳斎
【
(真田幸隆)
】
煩少々験気を得らるうの由、大慶に候。猶其の城用心疎略なく
肝煎
【
きもいり
】
頼み入り候。恐々謹言。
五月廿八日 勝頼(花押)