元亀3年(1572)7月晦日 真田信綱等宛武田信玄朱印状
 信玄が、祢津信直・真田信綱等に、武田領から追放した百姓等(主として北信濃の者)で、近辺を徘徊するものがいたら召捕るよう命じたもの。
 宛て名をみると、祢津・真田・海野・室賀・浦野・小泉と記されているが、これは当時の信玄支配下の、当地方の主な土豪を知ることができる貴重なものである。
 またこの文書より、真田氏では、幸隆が上州の前線守備に主力を置いていたのに対し、小県の本領の支配は、信綱にまかせられていたことを知られる。

上田市日向小泉 小泉重幸氏蔵

祖母(高井郡)福嶋之
甚六福嶋之
市右衞門(水内郡)古野之
新右衞門(水内郡)小鷹梨之
弥右衞門(高井郡)村山之
三助村山之
文右衞門(高井郡)大室之
闕落 源三郎(埴科郡)西条之
闕落 市右衞門(水内郡)こしはミ之
闕落 七右衞門(水内郡)長沼之
闕落 小尾三右衞門
闕落 小右衞門(更級郡)新戸・くろひこの

闕落 清次郎(更級郡)屋代山田之
闕落 主計(埴科郡)東条之

已上
くだんの輩御分国を追放なされ候。其の近辺徘徊候はば、召捕え御注進もっともに候。努々ゆめゆめ疎略有るべからざる者也。仍てくだんの如し。
元亀三年壬申
七月晦日 (朱印)(武田信玄)
春日弾正忠(虎綱) 内藤修理亮(昌豊) 奉之
松鷂軒(禰津信直)
真田源太左衞門(信綱)尉殿
海野衆
室賀大和入道殿
浦野源一郎殿
小泉宗三郎(總)(昌宗)殿