文禄元年(1592)正月10日 信綱寺宛真田昌幸黒印状
 差出人は「北」となっている。一般に、北のかたとは貴人の妻の敬称として使うが、この場合は、真田昌幸の夫人であろうと考えられ、昌幸が信綱寺の寺役を半役と定めたものとされている。しかし信綱の菩提寺宛てのものでもあり、あるいはこの差出人は、信綱夫人ではないか、とも考えられる。


真田町横尾
信綱寺蔵
信綱寺寺領半役の儀、京都へ申しことわり候間、何方へも御すましは御無用に存じ候。其の為手形進じ候。仍て件の如し。
(黒印)(真田昌幸カ)辰正月拾日 北
打越へ参