天正10年(1582)3月 織田信長禁制
 武田氏滅亡後、その旧領信濃は織田信長の支配下となった。このとき信長が信濃の各地に発布した禁制の一つである。これは小県郡南方村(丸子町塩川南方、あるいは上田市下塩尻の内)に掲げられたもので、旧小県郡内ではただ1通だけ残っている信長文書。当地方が織田信長の領有となったことを確認できる貴重史料である。この信長の印には「天下布武」という文字が刻まれている。

上田市下塩尻
滝沢敦氏蔵
禁制
信州小県内南方村
一、甲乙人等乱妨狼藉の事
一、還住の百姓已下に対し煩いを成すの事
一、非分の課役の事付、御判銭・取次銭・筆料等同事
右の条々若し違犯の輩有らば、速かに厳科に処せらるべき者也。
天正十年三月 日
(朱印)(織田信長)