天正10年(1582)5月 龍雲寺宛滝川一益寺領宛行状
 武田氏滅亡後、その旧領は織田信長が領有したが、上野一国と信濃の内佐久・小県の2郡は信長の重臣滝川左近一益に与えられた。
 これは、その一益が龍雲寺に新寺領として168貫文の地を与えるというもの。信長の信濃支配は、同年6月本能寺の変により、わずか3ケ月で終りをつげ、滝川一益も西へ去った。前掲の信長禁制とともに、ごく短かかった織田氏の当地方支配を物語る珍しい文書である。

佐久市岩村田
龍雲寺蔵
小室(佐久郡)に至って住宅有るべきの由に候。然る上は、当寺領三十五貫岩村田、十貫番匠免、百二十三貫落合(佐久郡)、都合百六十八貫、新寺領として宛行ふの上は、全く相違有るべからざるの状件の如し。
天正十年五月 日 
滝川左近一益(花押)
龍雲寺