天正10年(1582)3月22日 滝沢八兵衛宛室賀勝永書状
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差し出し人「一葉斎禅松」は、室賀信俊の養子で、当時の室賀氏当主勝永である。この文書は滝沢八兵衛から室賀氏への書状に対する返書であるが、3月22日は両名の主君であった武田勝頼の死から11日後のこと。
内容は室賀勝永が滝沢八兵衛の出仕を促したもので、八兵衛の弟は既に室賀氏のもとへ出仕しているので安心して出仕されたい、出仕のあかつきには本領はもちろん、百貫文の地を重ねて与える、といっている。室賀氏の出した文書で現存するものはごく珍しい。
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 上田市下塩尻 滝沢敦氏蔵
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返す返す其の方舎弟、最前に出仕せられ、涯分懇志申し候。心易く存ぜらるべく候。
書中具に披見せしめ候。其の方事は前々より存じ候の条、先づ舎弟拙者方へ出仕致され候。心易く存ぜらるべく候。尤も早々罷り越され、奉公に至っては、本領の儀は申すに及ばず、合せて百貫の所、重恩として相重ぬべく候の間、心易く存知せられ、早々御越し然るべく存じ候。委くは重ねて。恐々謹言。
一葉斎
三月廿二日 禅松(花押)
滝沢八兵衛殿
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