上田城跡からは次のような2点の金箔瓦が出土している。
1点は当館蔵の鬼瓦の破片とみられるものである。これは昭和2年10月、百間堀跡へ市営球場開設工事のおり、現在一塁側スタンドになっているあたりの二の丸土居の地中より発見されている。漆を塗った上に金箔を押してあり、その残存状態は比較的良好である。(口絵カラー写真5頁参照)
もう1点は柳沢氏所蔵のもので、基部は欠けているが、棟の隅に突き出す長くそった瓦である鳥衾かと思われるものである。写真でははっきりしないが、三巴文様の瓦当面に、わずかに金箔が残っている。形態も大きさも、いかにも城郭建築にふさわしい豪壮な感じの瓦である。これもやはり上述の鬼瓦片と同じ工事の際に発見されたものらしく、そのおり、もう一つ同じものが見つかったとの話も伝わっている。
周知のように金箔瓦は、桃山期特有の瓦である。また安土城・大坂城・伏見城等、織豊政権の中枢であった城郭に集中的に見られるもので、地方での発見例はごく稀であり、長野県内ではもちろんその例を聞かない。
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