天正14年(1586)8月18日 高槻・新木宛真田昌幸朱印状
 上田市横町の願行寺も、やはり海野郷より真田昌幸によって移されたと伝える。
 これは昌幸が家臣高槻備中守等に命じて、願行寺の後住職として、然るべき知識(有徳の賢者)を招いて住まわせるように、あわせて同寺門前屋敷の諸役(諸税)を免除する、としたもの。昌幸が上田へ同寺を移した直後の文書であろうか。


上田市横町
願行寺蔵
願行寺後坊主の事、然るべきちしき(知識)あひ(相)まね(招)き、住まはせられ候様に馳走尤もに候。然して自今以後門前屋敷等の諸役、赦免せしむべき者也。仍って件の如し。
 天正十四年丙戌 (朱印)(真田昌幸)
  八月十八日
   高槻備中守殿
   新木肥後守殿