元和7年(1621)12月10日 願行寺宛矢沢但馬守等連署状
 宿場としての海野町にあり、人馬の継立つぎたてなどの課役のかかる伝馬屋敷であった、藤十郎と善十郎の屋敷が、願行寺の寺屋敷替のためそれからはずれ、寺の門前屋敷となったことを、真田氏重臣連署で、確認のため出した証文である。
 なお、昌幸によって上田へ移された願行寺は、後の御廐おんまや(現末広町)にあったが、この元和7年に焼失して、現在の横町(元は海野町の内)に移されたと伝える。いずれにしても真田氏時代の城下町整備の一端を、うかがうことができる史料の一つである。
 なお同寺の四脚門は、桃山建築の様式を伝え、この元和7年の再移転の際に建てられたものと考えられる。

上田市横町 願行寺蔵
以上
今度御寺屋敷替え成され候に付いて、海野町伝馬屋敷藤十郎・善十郎両人の屋敷門前の者の屋敷同御門前に罷り成り候。向後海野町伝馬の内より申し分有る間敷く候。此の如く仰せ出だされ候に付いて、我々切手これを進じ候。以上。
 辛酉之 十二月十日
矢但馬(矢沢頼幸) (黒印)  
(出浦)半平 (黒印)
(池田)長門 (黒印)
  願行寺様