天正13年(1585)8月29日 矢沢頼幸宛須田満親書状
 矢沢三十郎頼幸は薩摩守綱頼の子で、昌幸のいとこにあたる。真田氏創業期家臣団の中核として、父とともに活躍した。
 須田満親は上杉方の海津城将である。
 この書状は、真田昌幸が徳川軍の来攻に備えその子弁丸(信繁・幸村)を証人(人質)として、海津城に送ったことを謝するとともに、上杉方が地蔵峠越えに曲尾筋(真田町)へ助勢を出したことを告げたもの。


長野市松代
矢沢頼忠氏蔵
尚々、其の元昼夜の御苦身察し入り候。御稼の段并びに御証人指し越され候。則ち貴府(上杉景勝)へ申し達し候。以上。
未だ申し通ぜず候と雖も、一翰啓せしめ候。今度御証人として御幼若(真田信繁)の方越し御申し、痛み入り存じ候。其の口に於いて御稼の由、是非なき次第に候。先日曲尾筋へ助勢申し候ひき。重ねて今日人数指し遣はし候。御用等御隔心なく仰せ談ぜらるべく候。洪水路次自由ならざる故、吾等遅参所存の外に候。何様面談を以って申し承はるべく候。恐々謹言。
須田相模守
 八月(天正十三年)廿九日
滿親 (花押)
  矢澤三十郎殿
         御宿所