天正13年(1585)10月17日 真田昌幸宛豊臣秀吉書状
 徳川軍との対陣の最中、昌幸は豊臣秀吉(当時は羽柴姓)に書状を送り、その援助を求めていた。このとき初めて秀吉が昌幸に送った返書である。これにより、昌幸は秀吉とつながりができることとなった。道茂は秀吉の側近、また小笠原右近大夫貞慶は深志(松本)城主でありやはりこの頃、家康にそむき、秀吉に通じていた。


長野市松代
真田宝物館蔵
「眞田安房守(折懸封紙ウハ書)とのへ」
未だ申し遣はさず候のところ、道茂所への書状、披見候。委細の段聞し召し届けられ候。其の方進退の儀、何れの道にも迷惑せざる様に申し付くべく候の間、心易かるべく候。小笠原右近大夫(貞慶)いよいよ申し談じ、越度なき様に其の覚悟尤に候。なほ道茂申すべく候也。
 拾月(天正十三年)十七日 (花押)(羽柴秀吉)
 眞田安房守(昌幸)とのへ