天正18年(1590)3月8日 真田信之宛豊臣秀次書状
 源三郎は信之(信幸)の幼名。秀次は秀吉の甥で、秀吉の養子となり、後秀吉に代って関白ともなった人物。
 この年、秀吉の小田原攻めに従軍した秀次に、北国衆(軍)として、やはり北条氏討伐のため碓氷峠筋に進軍していた信之が、陣中見舞状を送った際の秀次の返書である。


長野市松代
真田宝物館蔵
此の表に着陣。見廻りのため示し越さるる通り、承悦に候。北国衆仰せ付けらるゝの故、臼井(碓氷)峠筋途中へ在陣の由、尤に存知候。此の面別条なく候。我々事きせ(黄瀬)川際に居陣せしめ候。山中(伊豆)韮山(伊豆)程近しと雖も、敵一切人数を出さず候。尚後音を期し候の間、巨細こさいする能はず候。恐々謹言。
 三月(天正十八年)八日 秀次(豊臣)(花押)
 眞田源三郎(信幸)殿