慶長5年(1600)7月27日 真田信之宛徳川家康安堵状
 家康は信之の忠信が、よほど嬉しかったものか、7月24日付けの書状に続いて27日には、小県郡は親の領地であるから、それを没収のうえは、違儀なく信之に与える、その上、今後どのようにも取り立てる、という旨を約している。
 真田家では、最重要文書として、保管してきた書状である。


長野市松代
真田宝物館蔵
今度安房守別心のところ、 その方忠節を致さるの儀、誠に神妙に候。然らば、小県の事は親の跡に候の間、違儀なく遣はし候。その上身上何分にも取り立つべきの条、その旨を以って、いよいよ如在じょさいに存ぜらるまじく候。仍つて件の如し。
慶長五年
 七月廿七日 家康(花押)
  眞田伊豆守殿