慶長5年(1600)8月23日 真田信之宛徳川秀忠書状
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上杉征伐のため、宇都宮に滞陣していた徳川秀忠が、明24日この地を立って、小県を攻めるから、お前もそのように心得て、小県へ出馬するように、上野沼田城の信之に申し送った書面。
秀忠軍は、秀頼方(西軍)と対決すべく、東山道を通って上方へ向かうことになったのだが、表向きは、反旗をひるがえして、上田城へ帰ってしまった真田昌幸を攻める名目で、西上の途についたことがわかる。
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長野市松代 真田宝物館蔵
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以上
わざわざ啓せしめ候。仍って明二十四日にこの地を罷り立ち、ちいさ形へ相動き候の条、その分御心得候て、彼の表へ御出張あるべく候。尚大久保相模守・本多佐渡守申すべく候。
恐々謹言。
八月廿三日 秀忠(花押)
眞田伊豆守殿
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