年次不詳3月25日 真田信之宛同昌幸書状
 高野配流中の昌幸より信之宛ての書状であるが、筆跡・内容からみて、幸村(信繁)の代筆とみられているもの。追って書き(追伸)のなかで、「次に左衛門佐(幸村)慮外ながら御言伝申し入れ候」として、永年の蟄居生活で、くたびれはてている旨、記している。
 年次は昌幸の死去した慶長16年(1611)かその前年と推定されている。


長野市松代
真田宝物館蔵
追って、珍しからず候へども、玻璃の盆一つ、同じくとうさん二つこれを進じ候。書状のしるしまでに候。次に佐衛門佐慮外ながら御言伝申し入れ候。先書に申し上げ候ごとく、爰元永々の御山居、よろづ御不自由、御推量成さるべく候。我等手前などの儀は、なほ以って大草臥くたびれ者に罷り成り申し候。御察しに過ぐべからず候。以上。
その許の様子、久々承はらず候の間、半左衛門相下し候。御息災に候哉、承はりたく候。此の方別儀なく候。御心安かるべく候。但しこの一両年は、年積り候故、気根草臥れ候。万事この方の儀御察しあるべく候。委細は半左衛門申し達すべく候の間、つぶさにする能はず候。恐々謹言。
 三月廿五日
安房
昌幸(花押)
 豆州
   参