年次不詳9月20日 真田幸村書状
 宛て名を欠くが、伊豆殿即ち信之から高野(九度山)での生活の様子を知らせるように言ってきたので手紙を出す次第だが、あなたからも信之によろしく伝えて頂きたい、こちらは万事御推量の通り(相変わらずの窮乏生活)であると述べている。
 追って書きの「面を以て一折興行」とは、お会いして、連歌を興行したいというのである。幸村は九度山で連歌を学んだ。


上田市常田
長井彦助氏蔵
追って一度面を以て一折興行望み居り候。同心たるべしと存じ候。以上。
其の後申し承らず候。仍ていづ(真田信之)殿より此の方堪忍の様子申し入るべきの由、仰せ遣わされ候間、書状を以て申達し、然るべき様仰せ入れられ給るべく候。爰許ここもと躰万事御推量有るべく候。いづ殿沼田へ越され候由承り候。此の節爰元堪忍の様子も仰せ付けられ下され候様に存ぜしめ候。御つゐで候は、御取成し頼み入り申し候。猶次郎左衛門所より申すべく候。恐々謹言。
    真左衛門佐(真田)
 九月廿日 信繁(花押)