年次不詳極月晦日 木村土佐守宛真田幸村書状
 昌幸死後の慶長18年頃のものかと思われる手紙。真田家の重臣木村土佐守綱茂が、歳暮に鮭を幸村のもとへ送ってくれたことについての礼状であるが、「当冬はよろず不自由にて一入ひとしおうそざぶく……」と配所での心細い様子を伝えている。
 また、連歌について、老後の学問であるので成り難い、といっている。前の書状と合わせてみるに、退屈な配流生活の慰みに、かなり連歌に熱中していたものらしい。


長野市若里
宮沢常男氏蔵
尚々御状祝着申し候。いつもいつも御床敷く存ずる計りに候。其の元連歌しうしん(執心)と承り及び候。此の方にても徒然なぐさみに仕り候へとすゝめ(勧)られ候かた(方)候へども、はやはや(早々)老のがくもんにて成り難く候。御推量有るべく候。彼是面上にて申し承りたき計りに候。
示に預り候。ことに歳暮の御祝儀として鮭送給候。さて々遠路御志共申し尽し難く候。仍て伊豆殿江戸に於て御前御仕合共の由、目出珍重に存じ候。次に此の方相替る子細これなく候。御心安かるべく候。去り乍ら当冬は万不自由にて一入ひとしおうそざぶく御座候。ここ元の為体ていたらく御察し有るべく候。一度御面上にはなし申し度く候。猶此の人申すべく候。恐々謹言。
          真左衛入
 極月晦日      信繁(花押)
  木土佐守(木村綱茂)殿
      (御)返報