寛永元年(1624)10月3日 飯島庄九郎宛真田信之宛行状
 松代入封後、信之は元和9年(1623)〜10年(寛永元年)にかけて、家臣に知行地を給付した。これは飯島庄九郎に合計300石の地を与えるとしたもの。庄九郎(正九郎)は親の市之丞が大坂の陣で戦死したあとを、前出文書のように元和3年に相続している(111頁)。
 なお、飯島氏はこの後、松代藩を辞して、小県郡の元の村へ戻り帰農している。『小県郡年表』によると、「寛永7年、松代藩48騎知行不足難渋の旨申し立て暇取りし人々」の中に、親の名を襲名した庄九郎であろう「飯島市之丞」が見える。


丸子町御岳堂
飯島芳郎氏蔵
已上
百四拾四石六斗 御幣川(更級郡)
百七石 瀬脇村(水内郡)
四拾八石四斗 植松村(水内郡)
合せ三百石の所、これを出し置き候者也。仍って件の如し。
 甲子十月三日 (朱印)
  飯嶋庄九郎殿