真田昌幸夫人寒松院
 昌幸の正室で、信之・幸村の生母である。
 その出身については諸説あるが、「京之御前様」と呼ばれていたことなどからみて、京都の公家正親町氏あるいはその関係の娘で、信玄の養女という形で昌幸に嫁いできたものらしい。
 寒松院は、昌幸の三回忌の命日にあたる慶長18年(1613)6月3日に死去している。法名は寒松院殿宝月妙鑑大姉。上田の大輪寺の開基であり、墓も同寺にある。
刺繍種子阿弥陀三尊 / 寒松院墓