天正13年(1585)6月21日 矢沢頼幸宛真田昌幸朱印状
 真田昌幸が、矢沢頼幸にその配下として、同心衆を附属せしめたもの。
 東松本は上田市塩田の町屋・奈良尾一帯の古名であり、またこの同心衆の姓をみると、現在も塩田辺に数多くみられるものが多い。これらの者は、もともと塩田・川西方面の地侍であったものと思われ、この方面が新たに真田氏の支配下になったことにより、その家臣団に編入されたものと考えられている。


長野市松代
矢沢頼忠氏蔵
乗馬衆
  嶋 甚九郎
  同 半之丞
  吉沢源兵衛
  南条弥左衛門尉
  海瀬文之丞
足軽衆 東松本
  林 勘左衛門尉
  同 藤二郎
  坂本与三左衛門尉
  たはさま与助
  松沢彦二郎
  上原勘右衛門尉
  長沼又右衛門尉
  塩入甚三
  内河十左衛門尉
  竹鼻六右衛門尉
  伊藤半之丞
  平井源之丞
右之衆同心に申し付け候の間、向後人衆を催され、一手役奉公肝要たるべき者也。仍って件の如し。
 天正十三年乙酉
  六月二十一日(朱印)(真田昌幸)
  矢沢三拾郎(頼幸)殿