真田昌親 |
真田昌幸の三男。即ち、信之・幸村の弟。通称は 関ヶ原の役にあたり、親子が東西に別れた際には信之に従ったという。 寛永9年(1632)7月没。49才。追号は清涼院殿第安源及大居士。墓は松代大林寺と善光寺境内にある。(大鋒院殿御事蹟稿・真田系譜稿による) なお、昌幸にはもう一人の男子、四男の左馬助信勝があった。慶長14年9月、江戸において近江膳所城主戸田氏鉄の弟勝興と喧嘩、切殺されたとも、相手を斬って逐電したともいう。 (慶長見聞録・寛政重修諸家譜による) |
真田昌親屋敷跡推定地 / 善光寺境内真田昌親墓 |
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