常田獅子踊図・房山獅子踊唄 『信濃奇勝録』所載
 上田城下に接して、実質的には城下町の一地域になっていた常田・房山の2村の獅子舞をまとめて上田獅子ともいうが、これは常田の踊りの図と、房山の踊り唄である。衣裳・唄ともに村によって、異なっているところもある。この獅子舞は両村の各祇園祭に舞われたものであるが、現在では、上田市の芸能を代表するものとなっている。
 真田昌幸の上田築城の時、その完成祝いに舞ったと伝承され、江戸時代には城中に祝いごとがあるたびに、舞いこんだものだという。
 ただし、この上田の獅子舞は3人一緒に舞う三頭みがしら獅子とよばれるもので、各地にみられるものの一つである。
 『信濃奇勝録』は、佐久郡臼田の神官井出道貞の天保5年(1834)の著書を、その孫通が祖父の遺稿を加筆し、明治20年(1887)に刊行したもの。
房山獅子の唄
道行 御門のわきのこん桜、黄金花も咲いたとな。
前出 玉の簾をまきあげて(一返)まより簓を(一返)お目にかけましょ(二返)
地唄 まより来て(二返)これのお庭を眺むれば、黄金小草が(一返)足にからまる(二返)まより来て(二返)これの御門を眺むれば、御門扉が(一返)せみや唐銅(二返)
前出 しいなげ擔げよ、いつまで擔がに、いざや下せよ。まより来て、これのお廐眺むれば、いつも絶えせの、駒が千疋(二返)わが国で 雨が降るげで雲がたつ、おいとま申して(一返)戻れ小ざさら(二返)流し 御門のわきのこん桜、黄金花も咲いたとな。(二返)


上田市二の丸
上田市立博物館蔵
上田獅子(常田獅子) / 壁塗り踊り