(しょくきんざっし)
所蔵 藤本蚕業歴史館
明治時代中期 蚕種業の先駆者「藤本善右衛門縄葛(つなね)」が記した89冊の内の87冊6,178画像を
高画質デジタル化したデジタルアーカイブとして公開いたします。
このコンテンツは、所蔵者である藤本蚕業歴史館にご協力いただき、
長野大学と上田市マルチメディア情報センターの共同事業として制作いたしました。
上田市マルチメディア情報センターでは、当コンテンツにて掲載した藤本善右衛門縄葛の『續錦雑誌』を生涯学習などのテーマとし
研究・解析・解説などの取り組みをされた方からの情報をお待ちしております。
これは『續錦雑誌』第1冊目の表紙で、縄葛が記した文字です。
『續錦雑誌』を著した藤本善右衛門縄葛は、文化12(1815)年、信濃国小県郡上塩尻村(長野県上田市上塩尻)で江戸時代前期から代々蚕種の製造販売業を営む佐藤一族に生まれました。
佐藤家の総本家は、縄葛の祖父 昌信から縄葛の孫 斐夫(あやお)までの五代の間約100年に亘り、商業のための屋号である「藤本」の姓を名乗り、当主は善太郎、善左、善右衛門などを襲名、江戸時代後期から明治にかけての昌信、保右、縄葛は蚕種業の先駆者といわれています。
縄葛は弘化2(1845)年に蚕種の新種「掛合」を育成し小県上田地域を全国一の蚕種業地にしました。明治5(1872)年大蔵省は蚕種製造取締まりのため蚕種大総代制度を設けますが、このとき縄葛は長野県の大総代に選出されました。
このように生業で名を成した縄葛は国学、歌学、神道にも造詣が深く6,000余冊もの和本を集め、今は遺族から上田市立図書館に寄贈され「籐蘆文庫(とうろぶんこ)」として保管されています。
その藤本善右衛門縄葛は、明治10(1877)年に隠居したころから明治23(1890)年に没するまでに『續錦雑誌』89冊を記しました。各冊は45ページから240ページ程度で、内容は多岐にわたるとともに様々な時代の書が見え、1冊目の〔正倉院御宝物絵図〕には、法隆寺が天保13(1842)年に刊行した小冊子「御宝物絵図」が挿入されています。
全冊の主な内容は、「古い時代の器物図、山稜図、地誌、古文書、武田氏や真田氏など中世文書の影写本、金石文字、鳥類図、草木図、桑葉図および800枚余もの桑葉拓影、蚕種相場、米相場、自作の長歌集や短歌集」などで、縄葛が博識の士であったことを窺い知ることができます。