起請文の様式

忠誠を誓わせる起請文とは神仏に誓約する言葉を書き表した文書のことで、残されている起請文はすべて、包み紙である「懸紙かけがみ」と本文を記載した「牛王紙ごおうし」によって成っています。懸紙は、「折封」として上下を折り、表に「上 ○○」というように提出者の氏名が書かれています。これを「ウハ書きうわがき」といいます。

牛王紙とは、からすをたくさん刷り込んだ特別の紙のことで、起請文を書くときに広く用いられていたものです。紀伊(和歌山県)の熊野神社で出したものが最も有名で、生島足島神社の起請文にも使われています。この牛王紙に書いた誓約を破ると神罰を受けるとされていました。起請文はこの牛王紙を翻して書くものですが、起請文八十三通の中にはそのようにしていないものがあります。

ところで提出者には、個人名や数名で連署したものには、「懸紙」に「○○衆」となっているものがあります。

『信玄武将の起請文』によれば信玄は、辺境地域の同族的団結が強い武士団には、「○○衆」として、統率者のものに地域的編成を許していたといわれ、信州関係の地域的武士団集団として「野沢衆」「岩下衆」「海野衆」等が起請文を提出しています。特に海野氏は、小県郡旧東部町(現東御市)を本拠とした名門滋野一族の氏族であり、海野平の合戦で敗北しましたが、一族の勢力は信州の筑北(筑摩郡北部)や安曇郡南部、さらに西上州にも広がっていて、起請文の中に海野氏関係のものとして、海野幸貞(会田(旧四賀村・現松本市の一部)に本拠を持ち、筑北地方(麻績村、旧坂井村・旧本城村(現筑北村)、旧四賀村などに勢力を張った岩下海野氏の統率者)、桑原康盛(更級郡桑原(千曲市)を本拠とする)等連署、岩下幸実(筑北地方に進出した岩下(海野)下野守の配下であろう)等連署、海野幸光等連署(名を連ねている人々は尾山・石井・奈良本・金井・桜井・常田などいずれも小県郡内の郷村名を負う地侍)、海野幸忠(本拠は定かではない)等連署のものがあります。

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参考資料:信濃史料、信玄武将の起請文、上田市誌「歴史編・文化財編」から引用しています。