名称 種別 指定 所在地 所有者
紙本墨書着色
「正保の信濃国絵図」(博物館)
県宝
古文書
昭和四九年十一月一四日 上田市博物館 上田市

解説

江戸幕府が最初に全国から国絵図の徴収を図ったのは慶長9年(1604)ですが、次に組織的に全国規模で徴収したのは正保年間でした。その後、年月の経過による地勢の変化や社会動態に対応して、元禄年間と天保年間に改訂されました。

正保国絵図は、将軍徳川家光の治世の正保元年(1644)12月に全国の主要大名らに国絵図・郷帳ならびに城絵図の調進を命じたもので、慶安初年(1648)ごろまでにそれらの収納を終えたものと見られます。しかし、幕府が収納した正保国絵図の原本は現存しませんが、江戸時代に写したとみられる模写図の大半が国立公文書館の内閣文庫に保管されています。また、諸国の大名は、幕府へ献上した国絵図の控を国許に保管したことから、この控が各地方に残っている場合があります。この正保信濃国絵図もこれにあたり、当時の上田藩主仙石家に伝わったもので、写し、または下絵図と見られます。しかし、幕府に保管されていた正保の国絵図の正本は現存しないことから、この絵図は写しとは言っても現存する最も古い信濃国絵図として貴重なものとなります。

国絵図の製作にあたっては、信濃国では真田伊豆守信之(松代藩)・松平因幡(いなば)守忠憲(ただのり)(小諸藩)・脇坂(わきさか)淡路守安元(やすもと)(飯田藩)・水野隼人正(はやとのしょう)忠晴(松本藩)・仙石越前守政俊(上田藩)・松平万助忠倶(ただとも)(飯山藩)・鳥居主膳正(しゅぜんのかみ)忠春(高遠藩)・諏訪出雲守忠垣(ただがき)(高嶋藩)・岡上甚右衛門景親(かげちか)(代官)・設楽長兵衛能業(のりなり)(代官)が共同で受け持ち(相持ち)ました。絵図は、特定の絵師により清書はされていません。

  • 絵図の説明

正保信濃国絵図は、薄い黄色の地に墨で書かるとともに、川や湖は青・山は茶色や緑・道路は赤であらわされています。一里塚(街道の両側に一里、約4kmごとに築かれた小山)も黒丸で記されています。また、村名とその村の石高(米の収穫量になおした田畑の生産高) は小判形で囲み、郡別の色を塗り、城下町については四角形に囲んでいます。郡境は墨による太い実線であらわされ、隣接する国々については色分けされています。大きさは、縦が8.54m・横が4.64mという大変大きなもので、縮尺は全国統一された規格どおり、一里を六寸(約20cm)とする2万1600分の1で作られています。また、余白の部分には小県郡(6万4959石余り) など、郡ごとの石高と信濃の総石高(54万4770石余り) および幕府領・大名領・旗本領・寺社領の領主別の石高を並べて書き、最後に「正保四丁亥年三月十一日」と提出した日付が記されています。

  • 水内郡 戸隠神社
  • 更科郡 姨捨山
  • 佐久郡 浅間山
  • 諏訪郡 諏訪大社春宮秋宮
  • 伊那郡 風越権現山

次に、信濃国絵図には必ず載せなければならない村とその石高や城下の記載以外にも、さまざまなものが描かれています。つまり、正保信濃国絵図には現在でも知られている神社仏閣や名所旧跡等が描かれ、説明が記載されています。それぞれの郡ごとに、主なものをみてみたいと思います。ただし、次の時代に製作された元禄信濃国絵図ほど詳細な記載ではありません。

水内郡には、野尻湖が描かれ、戸隠山には戸隠神社の奥院(奥社)・中院(中社)・宝光院(宝光社)が描かれています。また、貞享5年(1688)に廃藩となった長沼藩が表記されています。

埴科郡では、松代が松城と記載されています。

更級郡では、姨捨山と男岩や女岩も描かれています。

佐久郡では、国境に浅間山が噴煙をあげている様子が描かれています。また、八ヶ岳は八ヶ嶽と記載されています。神社仏閣は、御代田町の新楽寺(真楽寺)・佐久市の貞祥寺や新海三社神社が描かれています。

安曇郡では、青木湖や木崎湖などの湖や国境に焼嶽(焼岳)が描かれています。

筑摩郡では、国境に乗鞍嶽(乗鞍岳)が描かれています。

諏訪郡では、そのほぼ中央に諏訪湖が描かれ、下諏訪には秋宮と春宮が、上諏訪には諏訪大社上社が描かれています。

伊那郡では、風越山には秋葉大権現が祀られていることから、風越権現山と記載されています。また、番所が多く描かれています。木曽では、国境に御嶽が描かれ、福嶋などに関所が描かれています。

高井郡や小県郡は、他郡と異なり、峠や山の記載がありません。最低限の記載のみで、非常にシンプルな表記です。

なお、この国絵図作成とあわせて信濃の全村の水田と畑の石高を記した「信濃国郷村帳」が作成され、幕府へ提出されました。これについても控えの帳面が伝わっており(上田市立博物館蔵)、やはり、信濃の最古の郷村帳として貴重な史料とされています。

信濃国絵図ビューアー

信濃国絵図の向き

正保の信濃国絵図の向きは、凡例が読める向きを基準してしており、右が北になります。

信濃国絵図ビューアーの使い方

信濃国絵図ビューアーは、正保・元禄をブラウザ上で表示し、マウス等で拡大縮小して絵図の隅々までご覧にいただけます。

操作については、以下の一覧をご参考ください。

※タブレットでのピンチイン&ピンチアウトの操作には対応しておりません。
操作ボタンなど 操作方法 動作
PC タブレット
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信濃国絵図の上
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信濃国絵図ビューアーでのエラー表示

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