滝沢家文書 |
前出の文書等でもわかるように、真田昌幸は主家であった武田氏の滅亡した天正10年のわずか半年の間に、織田・北条・徳川と、転々とその主を変えている。これは何も真田氏に限ったことではなく、この時期の地方小土豪の保身は大変なものであった。 次の2通の文書は、やはり武田の旧臣であった小土豪の、同じ天正10年、武田氏滅亡直後の動向を知ることができるものである。なお前掲の織田信長禁制も同家文書。 |
天正10年(1582)3月22日 滝沢八兵衛宛室賀勝永書状 / 天正10年(1582)6月16日 滝沢八兵衛尉宛松政宛行状 |
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