伏見城普請
豊臣秀吉が、大坂城を秀頼に与え、自身の隠居所として、京都南郊伏見桃山に築いた城が、伏見城である。
数年前に一旦築いたものを、文禄3年(1594)さらに大規模なものに、築造し直した。中心部の建物は、金銀を散りばめ、壮麗をきわめたものであった。
この城普請には、真田父子も動員されていたことが、次の文書でわかる。
文禄3年(1594)正月18日 真田昌幸・信之・幸村宛豊臣氏普請奉行連署状
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伏見城跡出土瓦