真田高勝
 真田幸隆の五男、つまり信昌のさらに下の弟である。なお「真田系譜考」には、幸隆の5人の男子、即ち信綱・昌輝・昌幸・信昌・高勝の生母は、いずれも真田家の重臣河原隆正の妹とある。
 高勝は宮内介くないのすけと称し、後に姓を金井と改めたという。
 慶長11年(1606)死去。法名を高勝寺殿龍顔宗白大居士という。葬地は現丸子町飯沼の龍顔寺である。当初は高勝寺といったのを寛文年間に改めたと伝える。
 また、龍顔寺の西方に「宮内宮くないのみや」あるいは「宮内様」と称する、拝殿をもった石祠が現存し「真田宮内大神」即ち宮内介の霊をまつっている。この地がその居館跡だといい、『長野県町村誌』には、「方一町、堀二重の塁跡あり」と記されている。
 子孫は帰農して、現丸子町御岳堂に居住、と伝える。(写真は「宮内様」)




慶長12年(1607)6月26日 高勝寺宛真田信之寄進状 / 龍顔寺真田高勝墓 / 宮内宮 / 金井家の高勝位牌