収蔵品
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郷土史一般
上田街学校
上田街学校
明治11年(1878)に明治天皇の北陸巡幸が行われ、上田は9月17日の宿泊地となった。その行在所(あんざいしょ)にあてられたのが、この日のために町の総力をあげて新築された上田街(まち)学校の3階建ての洋風建築だった。この写真は行在所となったその当日の写真。
この建物は現在の商工会議所(大手町)の所にあり、後、上田尋常高等小学校分教場となっていたが、作家久米正雄の父久米由太郎が校長だった明治31年3月に焼失し、その責めを負って由太郎は自殺した。久米正雄はこれを小説『父の死』として著している。