真田信綱・昌輝兄弟 |
このとき信綱は38才、「武田24将」の一人に数えられているように、既にひとかどの武将として知られた存在であった。 この相続以前より、父幸隆が吾妻の前線を固めるのに主力を置いていたのに対し、小県の本領は、信綱がその支配をまかせられていたと考えられている。 しかし信綱は、天正3年、長篠の合戦で弟昌輝とともに戦死してしまう。 信綱の死は、真田家の当主となってからわずか一年後のことであった。 昌輝は、 |
元亀3年(1572)7月晦日 真田信綱等宛武田信玄朱印状 |
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信綱、真田家相続 長篠合戦 長篠古戦場 |