真田信綱・昌輝兄弟
 源太左衛門尉信綱げんたざえもんのじょうのぶつなは、幸隆の長子として生まれ、天正2年(1574)5月、父の死によって真田家を相続する。
 このとき信綱は38才、「武田24将」の一人に数えられているように、既にひとかどの武将として知られた存在であった。
 この相続以前より、父幸隆が吾妻の前線を固めるのに主力を置いていたのに対し、小県の本領は、信綱がその支配をまかせられていたと考えられている。
 しかし信綱は、天正3年、長篠の合戦で弟昌輝とともに戦死してしまう。
 信綱の死は、真田家の当主となってからわずか一年後のことであった。
 昌輝は、兵部丞ひょうぶのじょうと称し、武田のムカデ衆として活躍したという。
元亀3年(1572)7月晦日 真田信綱等宛武田信玄朱印状

信綱、真田家相続
長篠合戦
長篠古戦場