松代移封
 元和8年(1622)真田信之は、幕府より、松代10万石への移封いほう(領地替え)を命じられた。長男信吉に与えた沼田領はそのままで、上田6万8,000石より3万2,000石加増されての一応「栄転」である。しかし信之は、その数年前、沼田から上田へと居城を移し、城下町の整備をはじめ、この上田小県地方の統治に、本格的に乗り出していたところであった。また、父昌幸の上田築城からは40年程とはいえ、小県は真田氏の祖先よりの土地でもあり、離れ難いものがあったことと思われる。
 真田氏の転封にあたっては、家臣団もそれに従って松代へ移住したわけである。しかし、地元にとどまって農民身分となった者もかなりみられた。また、松代へ移ってから、小県の出身の村へ帰農した者も数十名あったという。
元和8年(1622)10月13日 出浦対馬守宛真田信之書状 / 寛永元年(1624)10月3日 飯島庄九郎宛真田信之宛行状

松代城下の寺社