美術の大衆化、民衆芸術運動のなかに身を投じた鼎の生涯を辿る。
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版画
淡彩・水彩
油彩
スケッチ
その他
版画
漁夫
山本鼎
1904(明治37)年
木版・紙
22.1×17.3(cm)
日本近代版画の出発となった記念すべき作品。「明星」に掲載され注目される。石井柏亭によって刀画と命名される。版木が石井家に残されていて上田市に寄贈となる。本作は1988年の後刷り
モスクワ
山本鼎
1916(大正5)年
木版・紙
34.7×42.6(cm)
デッキの一隅
山本鼎
1912(明治45/大正元)年
木版・紙
17.7×17.0(cm)
1912年7月神戸港から丹後丸で渡仏、途中でスケッチしたものをパリで木版画にし送ってきた。浮世絵のような輪郭線はなく色面で表現されている。日本創作版画協会第1回展出作品。
ブルトンヌ
山本鼎
1920(大正9)年
木版・紙
36.9×28.4(cm)
一鶴花和尚
山本鼎
1911(明治44)年
木版・紙
26.0×19.2(cm)
森律子のBOY
山本鼎
1911(明治44)年
木版・紙
26.0×18.9(cm)り
セーヌ河畔の村
山本鼎
1913(大正2)年
木口木版・紙
12.5×15.7(cm)
漁師街
山本鼎
1907(明治40)年
石版・紙
22.5×14.9(cm)
千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ
山本鼎
1907(明治40)年
半調色版・紙
真昼
山本鼎
1909(明治42)年
木口木版・紙
18.9×13.2(cm)
1909年3月発行の北原白秋詩集「邪宗門」の挿し絵として使われた作品。
寺島伯肖像
山本鼎
1893(明治26)年
木口木版・紙
10.4×10.5(cm)
図版(木口図、その他)/ウズマキ
山本鼎
1893(明治26)年頃
木口木版・紙
14.9×13.2(cm)
大樹と男
山本鼎
1893(明治26)年頃
木口木版・紙
17.9×12.5(cm)
沢村宗之助の皆鶴姫
山本鼎
1911(明治44)年
木版・紙
26.2×19.2(cm)
市川高麗蔵の妹輪平次
山本鼎
1911(明治44)年
木版・紙
26.2×19.2(cm)
市川高麗蔵の智慧内
山本鼎
1911(明治44)年
木版・紙
26.0×19.2(cm)
フランス田園の春
山本鼎
1913(大正2)年
木版・紙
25.8×34.9(cm)
日本創作版画協会第1回展出品作品
ブルターニュの入江
山本鼎
1915(大正4)年
木版・紙
24.1×31.6(cm)
水浴
山本鼎
1918(大正7)年
木版・紙
34.7×26.1(cm)
高原の路
山本鼎
1918(大正7)年
木版・紙
22.2×31.4(cm)
上田市神科地区より菅平方面
備考: 板目木版 ジンク凸版併用
ブルターニュの小湾
山本鼎
1913(大正2)年
木版・紙
22.7×31.8(cm)
日本創作版画協会第1回展出品作品。
長十郎の敦盛
山本鼎
1911(明治44)年
版画 木版(多色)
26.0×18.5(cm)
梅幸の幸之助
山本鼎
1911(明治44)年
版画 木版(多色)
26.0×18.5(cm)
山鳩
山本鼎
1933(昭和8)年
版画 石版
20.0×30.0(cm)
日本現代版画展出品作品。版画としては最後の作品。
繍斧
山本鼎
1905(明治38)年
木口木版・紙
18.7×13.3(cm)
「草画舞台姿」パンフレット表紙
山本鼎関連
1911(明治44)年
木版・紙
試刷林(キリンビイルハリ紙)
山本鼎
1893(明治26)~1894(明治27)年
木口木版・紙
12.6×13.4(cm)
淡彩・水彩
秋の田園風景
山本鼎
1912(明治44)~1915(大正4)年頃
水彩・紙
23.8×36.8(cm)
疎林
山本鼎
1912(明治44)~1915(大正4)年頃
水彩・紙
23.8×36.8(cm)
風景(鏡ヶ浦)
山本鼎
不詳
水彩・紙
22.8×32.8(cm)
風景(城山)
山本鼎
不詳
水彩・紙
22.6×31.8(cm)
河畔の春
山本鼎
1912(明治44)~1915(大正4)年頃
水彩・紙
31.9×32.0(cm)
日曜の遊び・下図(1)(2)
山本鼎
1914(大正3)年
水彩・紙
22.8×13.2(cm)
聖教徒
山本鼎
1907(明治40)年
和紙・淡彩
24.0×16.0(cm)
こまった風呂敷包
山本鼎
1907(明治40)年
和紙・淡彩
22.8×16.0(cm)
雨やどり
山本鼎
1907(明治40)年
和紙・淡彩
16.0×24.0(cm)
「婦人の引力」と注釈がある。
昼寝の雨
山本鼎
1907(明治40)年
和紙・淡彩
16.0×24.0(cm)
尋常茶飯録 生温き日(裏)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 生温き日(表)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 自然科学(裏)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 自然科学(表)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 壮士芝居(裏)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 壮士芝居(表)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 春雨(裏)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
尋常茶飯録 春雨(表)
山本鼎
1911(明治44)年
淡彩・ハガキ
楕円平木鉢
山本鼎
1923(大正12)年頃
水彩・鉛筆・紙
38.0×57.2(cm)
油彩
蚊帳
山本鼎
1905(明治38)年
油彩・カンバス
72.7×100.0(cm)
モデルは鼎の母タケの妹ヒサ。子どもを寝かしつけたところか。明治大正名作品展出品作品(1927朝日新聞者主催)
平田知夫領事肖像
山本鼎
1916(大正5)年
油彩・カンバス
87.9×70.9(cm)
独鈷山麓秋意
山本鼎
1926(大正15)年
油彩・カンバス
38.0×45.5(cm)
ナース
山本鼎
1906(明治39)年
油彩・板
32.8×23.8(cm)
東京美術学校卒業前後に描いたもの。父の病院の看護師か。傾倒していたシャバンヌの影響が感じられる。
トマト
山本鼎
1918(大正7)年
油彩・板
24.3×33.4(cm)
第5回院展出品作品
湘南小景
山本鼎
1936(昭和11)年(夏)
油彩・板
24.5×33.0(cm)
榛名湖初秋
山本鼎
1937(昭和12)年
油彩・カンバス
72.7×91.0(cm)
1937年初秋、群馬県に出かけ妙義山や榛名山を描く。1941年秋にも出かけたが、11月3日に北原白秋が亡くなり、葬儀をすませ、再度榛名湖畔に出かけ旅館で脳溢血で倒れる。
越前海岸(河野)
山本鼎
1937(昭和12)年
油彩・カンバス
72.7×91.0(cm)
議長の像
山本鼎
1919(大正8)年
油彩・カンバス
80.2×65.1(cm)
シャトウデフ
山本鼎
1914(大正3)年
油彩・カンバス
60.6×72.7(cm)
滞仏中の作品。
むすめ
山本鼎
1907(明治40)年
油彩・カンバス
91.0×60.6(cm)
高橋はま肖像
山本鼎
1917(大正6)年
油彩・カンバス
60.6×45.5(cm)
渡仏費用や生活費を稼ぐために渡仏前後に何点も描いた。父や友人の遠藤鉄太郎医師が依頼者の世話をした。
冬のバラ
山本鼎
1939(昭和14)年
油彩・カンバス
45.5×53.0(cm)
河合氏肖像
山本鼎
1909(明治42)年
油彩・カンバス
60.6×45.5(cm)
浅間山秋の朝
山本鼎
1929(昭和4)年
油彩・カンバス
37.9×44.5(cm)
上井出の富士
山本鼎
1938(昭和13)年冬
油彩・カンバス
38.0×45.0(cm)
早春
山本鼎
1909(明治42)年
油彩・カンバス
31.8×39.4(cm)
房州にて
山本鼎
1939(昭和14)年頃
油彩・カンバス
33.5×45.5(cm)
花
山本鼎
1930(昭和5)年
油彩・板
34.3×25.0(cm)
外房のたそがれ
山本鼎
不詳
油彩・板
24.0×33.0(cm)
漁港
山本鼎
1938(昭和13)年
油彩・カンバス
24.3×33.4(cm)
京城
山本鼎
1934(昭和9)年
油彩・板
24.3×33.4(cm)
京城で朝鮮総督府主催の総合美術展が開かれ、審査員の一人として、6月から8月まで滞在した時の作品。>
百合の花
山本鼎
1935(昭和10)年
油彩・板
22.0×27.0(cm)
熱海即興
山本鼎
1933(昭和8)年
油彩・板
17.9×25.8(cm)
夕景
山本鼎
1939(昭和14)年
油彩・板
15.5×22.8(cm)
1939年4月、上田市で倉田白羊遺作展が開かれた。その時の賛助出品作品。売上金は白羊の遺族に送られた。
街角
山本鼎
1914(大正3)年
油彩・カンバスボード
22.7×15.8(cm)
滞仏中の作品。
外房の海
山本鼎
1939(昭和14)年
油彩・板
15.8×22.7(cm)
書斎の娘(コローの模写)
山本鼎
1915(大正4)年
油彩・カンバス
610×458(cm)
自画像
山本鼎
1915(大正4)年
油彩・カンバス
80.0×58.7(cm)
滞仏中の作品。ヨーロッパの古典や、後期印象派に学んだ成果が表れている。
スケッチ
大漁半纏1
山本鼎
1907(明治40)年
水彩・鉛筆・紙
38.0×28.4(cm)
セザンヌ群像
山本鼎
1912(明治44)~1915(大正4)年
鉛筆・淡彩・紙
29.0×38.5(cm)
個人蔵のものでセザンヌを模写したスケッチが数点ある。
デッキの女
山本鼎
1912(大正1)年
鉛筆・淡彩・紙
18.2×12.8(cm)
渡仏中、丹後丸にての。このスケッチをもとに、フランスで木版画「デッキーの一隅」を作り日本へ送ってくる。
ささやく二人(チンフレロー)
山本鼎
1912(大正1)年
鉛筆・淡彩・紙
12.8×18.0(cm)
1912年(明治45年)7月丹後丸で渡仏の途に着く途中上海に寄り娼婦街を見ていくつかのスケッチをする。
支那の女
山本鼎
1912(大正1)年
ハガキ・色鉛筆・紙
14.2×9.0(cm)
その他
芸術の日《芸術の会》ポスター
山本鼎
1922(大正11)年
74.0×46.0(cm)
《芸術の会》告知用ポスター
山本鼎
1922(大正11)年
58.3×38.2(cm)
石膏(手)
山本鼎
1899(明治32)年
紙・鉛筆
19.5×27.0(cm)
石膏(手)
山本鼎
1899(明治32)年
紙・鉛筆
19.5×27.0(cm)
つば広帽子の婦人
山本鼎
1913(大正2)年
銅板・紙
13.0×20.5(cm)
1912年8月にパリに着き、10月にエコール・ド・ボザール(官立の美術学校)のエッチング科に入学する。その時の作品。
『試刷林』
山本鼎
1894(明治27)年
紙(冊子)
23.5×15.5×0.5(cm)
『方寸』1~7
山本鼎関連
1907(明治40)年
紙(冊子)
『方寸』8~15
山本鼎関連
1908(明治41)年
紙(冊子)
『方寸』16~24
山本鼎関連
1909(明治42)年
紙(冊子)
『方寸』25~32
山本鼎関連
1910(明治43)年
紙(冊子)
『方寸』33~35
山本鼎関連
1911(明治44)年
紙(冊子)
方寸画暦
山本鼎関連
1908(明治41)年/1909(明治42)年
紙(冊子)
伊那踊り人形
山本鼎
1919(大正8)年
コンテ・紙
60.0×37.3(cm)
農民美術デザイン画(クッション)
山本鼎
1920(大正9)年頃
色鉛筆・コンテ・紙
48.6×42.8(cm)
雑誌『農民美術』/農民美術建業之趣意書
日本農民美術研究所/山本鼎・金井正
1924(大正13)~1927(昭和2)年/1919(大正8)年
紙(冊子)
9.2×13.2(cm)