1921年頃|ゼラチンシルバープリント|24.0×18.8 (cm)
後ろに手を組み、一点を見据える男性。視線はそらしているものの、その目線は力強く、端正な顔立ちを一層凛々しく感じさせます。
本作品は、シゲタが撮影したアメリカの映画俳優、ウォーレス・ビアリーの肖像写真といわれています。写真の右下部にある英語のサインと“重田”と書かれた落款は、彼の初期の作品にみられるもので、商業写真家として活躍する以前の、肖像写真家としてのシゲタを伺い知ることができる貴重な一枚です。
なお、シゲタは肖像写真家として、スタジオだけでなく、モデルの自宅に赴き撮影することも許されていました。限られた環境でも撮影を可能とした彼の技術の高さはもちろんですが、訪問撮影が許されていたという事実から、シゲタに対する厚い信頼が見て取れます。もちろん、そこにはシゲタの英語力が活かされており、英語で言葉巧みに会話をする中でモデルの緊張感を解き、自然な状態を引き出し撮影することができたといわれています。肖像写真という、モデルとのコミュニケーションが不可欠な撮影をこなしていたことで、シゲタの英語力は一層磨かれ、同時に、写真家としての信頼も獲得していったのです。
1925年|ゼラチンシルバープリント|35.5×43.0 (cm)
吹きすさぶ吹雪の中に2台の馬車が並ぶ風景。雪の勢いは苛烈を極め、進む先も見えない状態に馬は立ち止まり、ただ耐え忍んでいる。見ているだけで寒さが伝わってくる、猛吹雪が表現されたこの一枚は、シカゴのミシガンアベニューを撮影したものとされています。
実はこの写真、シゲタによって修整が加えられたもので、実際に撮影された写真には吹雪はありません。ネガに修整用のニスを塗り、鉛筆で丁寧に修正がくわえられ、凍てつくような寒さが演出されているのです。このように、シゲタは修整を加えることで芸術的に表現した写真を多く手掛けています。これは、技術の高さはもちろんのこと、もともとシゲタが画家を志していたこと、そして、写真を絵画のように自由に表現しようと芸術写真に傾倒したことが大きく影響しています。シゲタはただの写真技術者ではなく、芸術性を兼ね備えた写真家であり、他の商業写真にはないその独自性が彼の評価を一層高めていったのです。
1925年頃|ゼラチンシルバープリント|50.8×40.6 (cm)
本作は、シゲタが初めて手掛けた広告用のコラージュ写真といわれています。 大小さまざまなシャボン玉の背景、空を飛ぶ大きな石鹸の上に妖精のような裸婦が乗っている、 というとてもファンタジー色の強い作品です。
「ブルーローズ」という石鹸の広告写真で広告代理店から制作の依頼を受けたものなのですが、 こんなエピソードが残っています。 ブルーローズ石鹸を売り出す広告制作していたこの代理店。 しかし、ある懸案事項がありました。それは価格。この石鹸、実は1個1ドルもしたのです。 この作品がつくられたのは1920年代。当時は現代の10~15倍くらいの貨幣価値があったそうですから、 少なく見積もっても1,000円以上。なかなかの高級石鹸だったのです。 これを売るには相当インパクトのある広告にしないと……。 コピーライターたちが頭を悩ませている中、彼らの目に留まったのが、なんとシゲタの写真でした。
それは、別の依頼主から注文を受けてシゲタが撮影したビルの写真で、 レンズと光の屈折を利用して半円を描くようにビル群を収めたものだったといわれています。 そして、偶然にもそのビルの中にこの代理店が入っていたそうで、 強くひきつけられた彼らは「シゲタに依頼しよう!」となったのだそうです。
本作において、シゲタは石鹸の写真を撮るのではなく、 石鹸からイメージを膨らませて物語性を持たせるというデザインを施した写真をつくっています。 この発想に、当時のアメリカの広告写真業界は驚愕したという記録が残されています。
写真画像を自由自在に操り、芸術写真と商業写真を融合させ独自の世界観でその名をとどろかせたシゲタ。 本作は、その片鱗が見える作品といえるのではないでしょうか。
1928年|ゼラチンシルバープリント|41.4×34.0 (cm)
左上から強烈な光が差し、右下に向かって長く伸びる影。規則的に並べられたドミノが、美しくもどこかコミカルなイメージを喚起させます。《ドミノパイ》と名付けられた本作は、世界一の百貨店として知られたシカゴのデパート「マーシャルフィールド」のゲーム部門から発注を受けて制作された写真とされています。
実はこの作品、制作の裏ではかなりの苦労があったとか。 ドミノを弧を描くように並べて光で演出する、というところまではスムーズにいったそうなのですが、いざ背後から光をあってみるとドミノの表面がなんと真っ暗に。 これでは商品の紹介にならないと反対側から光を当てると、今度は影が消えてしまって面白くない。 ライトの調子や位置を何度も調整して試してみたそうですが、どうにもこうにも決まらなかったそうです。 ではどうしたのか。シゲタが最後にひらめいた方法、それは光に向かって鏡を置くこと。 鏡に光が反射することで、強すぎず弱すぎず、ちょうどきらめくような光がドミノの表面にあたり、完璧な演出ができたのだそうです。
本作は広告写真としてのほか、彼の個展では必ずと言ってよいほど出品されたシゲタの代表作の一つとしても知られています。
1930年頃|ゼラチンシルバープリント|50.8×40.6 (cm)
明かりを消した部屋で、椅子に腰かけ咥えた葉巻に火をともす一人の老紳士。手の中からこぼれる光に照らされ、暗闇に浮かび上がるその表情からは威厳と風格が見て取れます。本作品は、ハリウッド俳優ジョージ・アーリスが主演を務めた映画「オールドイングリッシュ」のワンシーンを撮ったものとされています。シゲタは、同映画のアーリスを何枚か撮影しており、そのうちの一枚は、のちにスミソニアン博物館のコレクションとして収蔵されたといわれています。
シゲタはロサンゼルスのスタジオで数多くのハリウッドスターの撮影を手掛け、肖像写真家として順調に成功していきました。
1934年頃|ゼラチンシルバープリント|25.0×32.0 (cm)
魚たちに囲まれながら手に取った真珠のネックレスを見つめる美しい人魚、手前には貝からこぼれおちる数多の真珠がライトアップされて写し出されています。《真珠と人魚》と題されたこの作品、世界的なパールブランドとして知られる宝飾店ミキモト(当時 御木本真珠店)から依頼を受け制作された広告写真です。
ほとんどの方は、この写真を見たらすぐ「合成写真かな」と気付くかもしれません。下半身が魚、なんて人はいませんものね。でも、どうやってつくられているのでしょう。現代だったら写真補正専用ソフトのレイヤー機能を使えばできてしまいますよね。もしかしたら、スマートフォンのアプリでもつくれるかもしれません。いずれにしても、デジタル機器が発達した今の時代なら、なんとなくつくり方の想像はできるのではないでしょうか。
しかし、この作品が制作されたのは1934年頃、なんと今からおよそ80年も前。
使われていたカメラはフィルムの時代です。さて、いったいどうやってつくったのか、想像できますか。実はこの写真、レイヤー機能と同じようにネガフィルムを重ねてつくっています。もちろんパソコンなんてありませんから、すべて手作業です。 使われているネガフィルムは3枚。1枚目は、水族館で撮影した魚が泳いでいるネガ、2枚目は裸の女性が真珠を眺めながら横たわっているネガ、そして3枚目は、貝からこぼれおちる真珠のネガです。これら3枚のネガを、なんと重ね合わせて1枚の印画紙に焼きつけているのです。
こうして、この《真珠と人魚》はでき上がっています。 この技法は「フォトモンタージュ」と呼ばれ、1920~30年代によく用いられた合成写真の一種です。 絵画におけるコラージュから派生したことから「フォトコラージュ」ともいわれます。 複数の写真を重ね合わせたり、二重露光を使ったりして、一枚の写真を作り上げるのですが、シゲタは前者の「重ね焼き(多重焼付)」の技法を得意としました。
上:「ヒトラー」1940年|ゼラチンシルバープリント|29.0×26.5 (cm)
左下:「ルーズヴェルト」1940年代|ゼラチンシルバープリント|29.0×26.5 (cm)
右下:「THE MAN OF THE HOURE」1940年代|ゼラチンシルバープリント|26.5×29.0 (cm)
タマゴに描かれた細い目と口髭、特徴あるアゴの輪郭線とくわえられたパイプ、そして丸い眼鏡にモジャモジャの眉毛。 一目で、この写真が何を表しているか察しがつくのではないでしょうか。 そう、いずれも第二次世界大戦の各国の指導者を皮肉った「フォトカリカチュア(風刺写真)」です。 ≪ヒトラー≫、≪ルーズヴェルト≫、≪THE MAN OF THE HOURE≫と名付けられたそれぞれの作品。 非常によく特徴を捉えていて、ユニークな仕上がりを見せています。
制作のきっかけとなったのは、第二次世界大戦開戦の記事を受け取ったことでした。 記事を読むなり、シゲタはおもむろにキッチンから卵を取り出し、そこに眉と髭を描き上げ「ヒトラーだ!」と一言。 そこから面白くなってスタッフといくつもの作品をつくっていったんだそうです。 中でもお気に入りが≪ルーズヴェルト≫。知り合いの歯医者に入れ歯を借りてまでつくったこの写真、 なんとルーズヴェルト大統領本人に贈ったんだとか。 まさに怖いもの知らずですね。後日、大統領の私設秘書官から届いた手紙には、 「似顔絵をつくってくれて、大統領はとても感謝しています。」との返事が。 皮肉たっぷりに感じるのは気のせいでしょうか。
この一連の作品についてシゲタは、「あの頃、みんなの神経が非常にとがっていて、だれもかれもが、あまりにも真剣で、困惑に満ちた顔をしていた。 そこで私は、一つ人々をくすぐり笑わせてやろうと思いついて、これらの作品をつくったのである。」と語っています。 陰鬱とした空気を紛らわし、人々を少しでも笑わせて心を和らげようとしたシゲタ。しかし、この後に起こる日米開戦によって彼の人生は一変してしまうのです
1945年|ゼラチンシルバープリント|34.4×39.2 (cm)
潮が引いた港の風景。時間は真夜中でしょうか。空は暗く雲が立ち込め、人影もない静まり返った海。そこへ、どこからともなく差し込む一筋の月光が海面を美しく照らし、出航のために潮が満ちるのを待つ2隻の船にひときわ重厚感を与えています。
現実と幻想のはざまを見るかのようなこの写真は、シゲタが追求した写真修整技術の集大成ともいえる作品です。マサチューセッツ州の都市ロックポートを撮影したとされるこの写真。もともとは、光が散漫し手前に漂着物があふれたものとなっていましたが、シゲタはこの風景を見た瞬間に「良い写真になる」と思ったといい、丹念に修整を重ね、まるで絵画のような芸術写真に仕上げています。
「写真を絵画のように自由自在に表現できないか。」写真家の道を歩む中で、シゲタが常に考えていたこの言葉。それを見事に実現した本作に対し、シゲタは「非常に美しい、温かい、人の心を打つ作品となった」と語っています。
1948年|ゼラチンシルバープリント|49.9×39.4 (cm)
1948年にイギリスで行われた国際写真コンペティションの芸術写真部門で、応募総数4800点の中から審査員の満場一致で第1位に輝いています。
手前には梯子、その奥には裸の女性が横たわって天井を見上げています。その天井にはなにやら不思議な物体があり、それを中心に光の渦がぐるぐると降り注いでいます。シゲタは、自分が手術を受けた際に、麻酔の効き始めに頭がぐるぐると廻るような感覚を覚えたことをヒントに制作したと語っています。
こちらの写真は、2枚のネガが組み合わされています。梯子と女性のネガが1枚目、光の渦のネガが2枚目です。ちなみに、この光の渦と謎の物体、気になりませんか。シゲタが言うには、曲げたクロムメッキのフェロタイプ板にスポットライトの光をあててできた複雑な光の反射を、さらにボール紙にあてて撮影したとのこと。
また、謎の物体は、スポットライトのコンデンサ(レンズと発言している時もあり)なのだそうです。 こんな風に、シゲタは自分の感じたことや体験を写真で表現するにはどんな方法があるか、ということも日夜研究していたといいます。
1950年頃|ダイトランスファープリント|32.5×40.8 (cm)
《ストロベリー・パイ》と題されたこの作品、中央にあるイチゴの赤色や奥に並べられた銀のポットなど、非常に鮮やかな色彩を放っています。
撮影されたのは今から約70年前、1950年頃といわれていますが、それにしてはかなり発色が良いと思いませんか。 実はこの写真、通常のカラー写真とは少し違った技法で制作されています。これは“ダイ・トランスファー・プリント”と呼ばれ三色分解と染色・転染を用いて制作される技法で、元の写真(ネガ)を赤色、青色、黄色の三色に分解し、専用紙に一色一色刷り重ねていくという、まるで版画のような仕組みです。
工程が複雑で、高度な技術が要求されますが、非常にクリアで鮮やかな発色があり、耐久性や保存性も高いという特徴があります。
半世紀を超えて、今なお鮮やかに残っているのもうなずけますね。 シゲタのスタジオではこの技法を用いたカラー写真が多く制作されていました。1940年代の後半、シゲタ・ライトスタジオでは、実に受注の4分の1がカラー写真であったといわれます。
では、どんな注文が多かったのでしょう。 これは食品広告だったといわれています。 モノクロ写真の明暗や濃淡で表現される世界も奥深いものがありますが、食欲をかきたてるような食品の写真となると、カラー写真の方が重宝されたようです。
1950年頃|ダイトランスファープリント|39.0×31.5 (cm)
一枚のトレーにおかれたさまざまなパン。鮮やかな彩りと絶妙な光の加減によって生み出された立体感に、思わず目を奪われてしまいます。質感や食感までイメージができそうなこの写真は、コマーシャル用に撮影されたカラー写真といわれています。
カラー写真の技術が確立して以降、広告写真、特に食品の写真はカラーが増えていったといいます。シゲタ・ライトスタジオでも、依頼の半分はカラー写真だったといい、その多くが食品写真でした。スタジオには、食品を撮るために本格的なキッチンが備えらえれ、専属の料理人までいたといいます。
食品写真で大切なことは、当然ですが“おいしそうに見える”こと。しかし、これは意外と難しく、シゲタもこんな話をしています。「パンのときは、バターの溶けかかったところを撮るが、なかなかできない。200枚ほど焼いて、最終的に3、4枚を選ぶ。それだけで半日がかりになる。」たかがパンの写真と思ってしまいますが、その裏では大変な苦労があったようです。
なお、本作品をはじめ、シゲタがスタジオで制作していたカラー写真は、ダイトランスファープリントが用いられています。クリアな発色と高い耐久性が得られますが、高度な技術も求められる手法です。本作品は半世紀以上たった今も色鮮やかに写し出されており、彼の写真へのこだわりがうかがい知れます。