商店街が宣伝のために配布した今でいうチラシ等にあたるものです。江戸時代中期以降、明治・大正にかけて盛んに利用されました。 上田のある商家の明治十年代の記録を見ますと、今でいうポスターにあたる「張札」(はりふだ)や、団扇も引札の一種として扱っていたことがわかります。当時は宣伝用に配る物は、まとめて引札と呼んでいたようです。
大々的な宣伝を繰り広げていた上田海野町の東山堂製疝気薬の引札。これによると、この薬の取扱店は北は北海道の松前から西は高知、下関にまで及んでいた。長々と宣伝文を書き立てるのが古い引札の特徴で、これは欄外にまで記されている。
海野町にあった薬屋「東山堂」の引札。長州・土佐など販売拡大を計る上で偽物防止のために作る大看板の完成予想図の錦絵を絵師の歌川直政に描かせ配ったもの。
明治10年代から上田でも活版刷りの引札が出始めている。右下の絵と同様の図柄は江戸時代からよく使われていた。文章は旧来の候文のまま。
お茶の銘柄ごとの二百目(750g)分の値段(銀○匁)が書き上げられている。
江戸大坂せった・笠・扇子・筆墨硯・下駄…。
東京から職人を招いて営業を開始…。
「各様益御機嫌能被遊候 恐悦至極奉存候 随私見世之義 御蔭を以日増ニ繁昌仕難有」
「当所産物類 品々 上田縞 白袖上下 袴地 品々 太物 并 唐物 織物 品々」
「照降傘 表附下駄 鼻緒類」