山本鼎版画大賞展

第4回山本鼎版画大賞展

審査員講評

黒崎 彰(京都府)
審査員
版画家 京都精華大学名誉教授

 第4回山本鼎版画大賞展応募作品の審査が、9月末、2日にわたり長野県上田市の上田創造館で行なわれた。応募作品539点、規定では各作家1点ずつの出品で、応募作家の数も同じである。この中から約3分の1の入選作品を選ぶことが、審査員4名(瀬木慎一審査員は都合で初日の審査を欠席された。)に与えられた最初の役割であった。

 初日朝までに全ての作品は、実行委員会の手で創造館の壁面とホールに仮設されたパネルへ、すでに丁重に並べられていた。作品それぞれが見やすく、また場所による差異がないように、光のあたり工合、作品の大小、その間隔等、よく工夫された跡が強くうかがえた。このように大変な労力と忍耐の伴う準備の上に、はじめて審査は可能となる。その点審査員たちは、与えられた仕事への責任の重さを感じると共に、すばらしい未知の作品に出会える期待に心が高まるのである。

 審査1日目の午後は、審査員各々が繰り返し全ての作品を見てまわった。ほぼ全体の印象が頭に記憶されたところで投票に移ったが、前半の結果では予定の入選点数に満たず、決定は持ち越された。後半の審査も数回にわたり全作品を総チェック、最終的に審査員4名の合意の上で入選作180点が決定する。入選率は33.4%、選ばれた作品は応募作品点数のちょうど3分の1に当たるが、3分の2の作品が入選を果たせず、かなり厳しい審査結果となった。

 瀬木審査員が加わった2日目の審査は、午前中に受賞作品10点を入選作から選び出す作業である。一夜明けた会場には、入選作のみがすでに展示され、作品は見やすく配置されていた。ここで投票紙が配られ、審査員各々が入選作の中からより優れた作品を選び、投票が始まる。創造館の広い多目的ホールの中を、幾度私たちは歩き回り、立ち止まり、遠くから、そして近くに作品を眺め続けただろうか。こうして手の中の投票紙が次第に少なくなり、最後に票数が重なった作品のみを一つの壁面に集め、改めて展示が行なわれた。

 以後、作品それぞれの評価を全員で検討、意見を交換するディスカッションへと審査方法を移し、受賞作への点数が絞り込まれる。意見の対立を見た場合は多数決の挙手をもって採決、午前の時間が切れる寸前で、大賞以下10点の受賞作品が決定したのである。

 選ばれた受賞作のほとんどはモノクロームの色調で占められているが、これは応募作品全体にも反映された特徴である。以前によく見られた鮮やかな色彩、派手な色面は影をひそめ、中間色と黒を基調とする地味で、沈潜した色調がかなりの作品を占めていて印象的であった。この傾向がいまの時代や社会的な不安を象徴するものか否かは、私には判らない。ただ、準大賞の三瓶光夫、優秀賞を受けた丸山章太の作品には、生の矛盾に対する不安が色濃く現れているように思われる。

 その意味では大賞の八木文子、準大賞の山下武美、優秀賞の野瀬昌樹等の作品も例外ではない。しかし、八木の人物描写の妙と行き届いた構成が、作品に強いインパクトをもたらし、文句なしの大賞であったこと、山下の独特な形態表現に加えた絶妙な映像の挿入、野瀬では不可解な生命体のすぐれた描写力が作品を支え、それらのいずれもが版画の醍醐味を心ゆくまでに楽しませてくれるのである。

 ところで、応募作品の約3分の1強に当たる204点が木版であったにもかかわらず、受賞作品では共に優秀賞を受けたアニシュジャマン、南舘麻美子の2点のみであった。ただ、両名の作品には油性と凹版技法が用いられ、伝統的な水性木版を受賞作に見ることはできなかった。個人的な意見に過ぎないが、次回には若手木版作家たちの奮起をぜひとも望みたいのである。

 終わりに、審査の準備に当たられた大賞展実行委員会皆様のご苦労に、心からの感謝を申し上げたい。

瀬木 慎一(東京都)
審査員
美術評論家 総合美術研究所所長

 大賞の「十畳問」に描かれているファミリーにはどんなストーリーがあるかは知らないが、一匹の猫を交えて漂う悲哀には痛切なものがある。銅版とシルクスクリーンの併用が効果を上げている。

 準大賞の「FUNNYPLANT」とその副題「ソノママデイイ」は、どんな意味が込められているかは分からないが、木版による単純だが、ある種のメタファーを伴う柔らかな抽象構成が魅力的である。

 同じく準大賞の「2つの遺伝子 by two genes」は、本の形状による表現で、小品ながら、多様な版技術が駆使されている。

 サクラクレパス賞の「たずねて」の状況は定かでなく、定かでないことによって醸しだされたニュアンスに富む銅版のポエム。

 優秀賞のなかの「Ameagari」は、銅版の正統使用による明暗表現の粋を示した深みのある作品。

 「IMAGE-9」は、バングラデシュ出身の画家の手になる木版の文字通りのイメージ版画。一見抽象のようだが、かならずしもそうではなく、整然としたものと浮遊するものとの対比が明暗を伴って鮮やかに表現されている。

 「Ambigious Territory」は、近頃珍しい人物の集合描写で、かなり遠近関係にある人々の重なりと動きと明暗の交錯が見事に構成されている。

野田 哲也(干葉県)
審査員
版画家 東京芸術大学教授

 版の利用は量産を目的に発生している。だから、版画の特質のひとつが複数性にあることは当然であるが、それでは現代、版画家はそれを目的に作品をつくっているかと言えば決してそうではない。現代、版画家は版を使っての表現、版でしか得られない表現を作品に求めている。今回の山本鼎版画大賞展ではその意味でも版を使った新しい試み、作品がいくつか最初ぼくには目についた。

 まず、立体的な試みである。そのひとつに紙で成形した本の作品があった。たしかに成形するには型枠という版?をつくらなければならない。この型枠によって作品は版画のように複数制作も可能である。しかし、この作品は版をつくって紙に摺るという、いわゆるふつうの版画ではないので、初め、入選作としては異論はないが、授賞の対象としてはいかがなものかという意見が出た。しかし、良く見ると表面には何か刷られたような形跡がある。因に作品名を聞いてみると「2つの遺伝子」ということであったので、それを前提に再び良く観察すると、本のページには男女の像があることが判明、この作品は最終的には準大賞に決定した。

 もうひとつの作品は和紙を上着に加工したものだった。和紙には水性木版の技法によって抽象形態が摺られていたが、その和紙はわざわざ糸を使って上着に縫製されていた。そのため、縫製された上着のほうが前面に出て、木版で摺られた部分は単に上着の模様にしか見られず、版の作品としては十分な説得力をもつものではないと判断された。実験的な作品ではあったが、これは入選作に留まった。

 デジタル出力を利用した作品は今回も多く出品されていたように思う。
この技法による作品の多くは、第一印象としての視覚的なインパクトは強い。しかし、何度も繰り返し見ていると、作品はきれいに刷られてはいるものの、表面は単調で冷たく、そのインパクトも薄れてくる。
今回、授賞候補に上がった作品も残念ながら最終的には授賞対象から外されてしまった。

 その他、数点、画面に重厚感のある作品が目を引いた。技法を調べてもらうと「メジウムはがし刷り」と書かれているという。版画のすべての技法は支持体(ふつう紙)にインク(絵の具)で刷(摺)って、そして剥がすわけなのだから、ぼくはとりわけ「はがし刷り」などと強調することもないのにと思ったが、フレスコ壁画の剥離技法にヒントを得ているというこの技法の版画への応用は最近だろうから、まずはこのように強調しておきたかったのだろう。この技法は接着性のあるメジウムを、インクを詰めた版の表面に塗り、それをプレスにかけて紙に剥がしとるというもので、塗られたメジウムはインクと共に紙に剥がしとられ、重厚感のある表面を出現させる。準大賞に決まった三瓶光夫、優秀賞に決まった南舘麻美子の作品はこの方法によっていた、という。

 グランプリには八木文子の「十畳間」に決まったが、八木の、特に腐食によって生まれた線の人物表現は銅版画の特性を見事に生かしていて、個性のある世界を生み出している。また、銅版とコラージュを併用した岡田まりゑのユーモアと詩情に溢れた作品、銅版の特性とどこか妖しい雰囲気を持つイメージの性格が良く合った野瀬昌樹の作品なども強く印象に残った。結果として今回は油性インクによる銅版画や木版画に授賞作が集中した感じであるが、ぼくは水性木版画の技法を使った作品にも洗練された秀作がいくつもあったと思った。おそらく、それらは油性インクによる作品に比べると少し控えめでやさしく見え過ぎたのかも知れない。

遠藤 彰子(神奈川県)
審査員
洋画家 武蔵野美術大学教授

 第一回から審査をしていますが、回を重ねるごとに新しさを感じることの出来る意欲的な作品が増えてきているように感じました。全体的にもレベルは高く、特に大賞を含む入選作品は、表現したいことが鑑賞者に明確に伝わってくるような造形性に富んだものであったと思います。

 大賞受賞の八木氏の「十畳間」は、版画でありながら絵画的な世界が垣間見え、その情景は存在感を放ちながら迫ってくるようでした。油彩の直感性が、版画の間接的な客観性によって程よく抑えられ、それが調和をもたらすことによって、表現としての不思議な魅力に転化されていました。

 準大賞の山下氏の「2つの遺伝子"by two genes"」は、トルソーの表現に幻想的な効果が功を奏し、センスのある画面が作品面積と呼応して、とても好感の持てる作品でした。

 サクラクレパス賞の岡田氏の「たずねて」は、荘洋とした空間に、イメージの触媒の手掛りとしての線描の形を置き、見るものに自由な物語を喚起させる詩的でユーモアのある作品でした。

 上田市長賞の上原氏の「along these lines」は、掌を分解し再構成させたような有機的な作品で、個々の黒いフォルムたちが自由に息づいているように感じられ、面白く見させてもらいました。

 多くの作品を拝見して、版画の持つ多様な表現性と作家の想いが一致した時に、強力な個性としての新しい版画表現というものが生まれてくるのではないかと感じました。過去に会得した技術や技法に縛られるのではなく、表現したいという想いから発していけば、それが作家の個性として形になっていくのだと思います。

 最後に、受賞には至らなかった作品の中にも良い作品が何点もあり、当落を決定するにも審査員一同苦心したことを記しておきたいと思います。今後も大いに期待しています。

渡辺 達正(東京都)
審査員
版画家 多摩美術大学教授

 9月30日第一次審査は500人を超える応募者の中から180人が選出された。

 翌日10月1日、第二次審査通過者約40人の中より最終受賞者9名が選出され、大賞:八木文子、準大賞:三瓶光夫、山下武美、サクラクレパス賞:岡田まりゑ、優秀賞:野嶋革、モハマド・アニシュジャマン、野瀬昌樹、丸山章太、南舘麻美子、上田市長賞に上原修一が選ばれた。

 大賞を受賞した八木文子の作品は、銅版画とシルクスクリーンの大作であり、35版9色刷とあるので制作工程はさぞ複雑であろうと思う。銅版画の人物表現が魅力的であり、完成度の高い作品である。

 準大賞の三瓶光夫の木版凹版、メディウム剥がし刷りは、あまり聞き慣れない技法であるが「銅版画の技法」菅野陽著(`62)に紹介されている石膏刷りと原理は同じである。これは銅版画にインクを詰め上から石膏を流す、約20分〜40分で石膏は固まり銅版に詰められたインクを石膏面に取り上げてくる。この技法の石膏をメディウムに取り替えた方法である。石膏刷りは重く割れる危険性があるがメディウムであれば軽く割れる心配はないだろう。この技法について優秀賞を受賞した南舘麻美子が日本美術家連盟の連盟ニュースNo.428「技法の現場から」で紹介している。

 山下武美の凸版拓刷り、カラーコピープリントは拓刷りとカラーコピープリントの組み合わせが愉快であった。

 サクラクレパス賞:岡田まりゑの銅版画は作者のセンスのよさを感じさせる作品であった。優秀賞:野嶋革の銅版画技法アクアチントの技術的な魅力に惹かれた。今後はこの技法を生かした若者らしい展開を期待する。

 モハマド・アニシュジャマンはバングラデシュの作家である。ラワン材の目を利用した油性木版画は完成度の高い見事な作品である。

 丸山章太の銅版画(メゾチント)はグレー部分の調子が整理されるとさらに透明度が増し質の高い作品となるだろう。

 野瀬昌樹の銅版画はアクアチント、ソフトグランド、エッチングの混合技法であろうか複数の技法をうまく組み合わせ、独特な世界を構成している。

 上田市長賞:上原修一の思い切った手の構成と線路との組み合わせがよかった。あ