山本鼎版画大賞展

第5回山本鼎版画大賞展

審査員講評

黒崎 彰(京都府)
審査委員長
版画家 京都精華大学名誉教授

 第5回目を迎えた山本鼎版画大賞展の作品審査が、9月末、2日にわたり長野県上田市の上田創造館で行なわれた。応募作品412点、規定では各作家1点のみの出品で、応募作家の数も同数である。
 前回、第4回大賞展の応募数539点と比べれば、今回は100点余の減となっている。1000年に一度とまで語られる未曾有の大災害、3月11日の東北における大地震と大津波の発生に原発事故が加わって、わが国は多方面にわたって甚大な被害を受けた。このような今年の特殊事情を考慮すれば、応募点数の減少は必然であり、驚くには当たらない。
 さらに大災害発生の数日後、大賞展の初回から審査委員長を務め、前回まで審査に携わった美術評論家の瀬木慎一氏が、3月15日に鬼籍に入られた。版画の知識に精通され、版画に愛情を傾けてこられた氏が、大賞展の存在やその役割に、どれほど大きな期待とヴィジョンを託されて居られたことであろうか。その突然のご逝去の報に接してまことに残念でならない。心より氏のご冥福をお祈りするものである。
 しかし、様々な逆風を表現によって乗り越えようとする作家たちの強い意志は多くの応募作に感じられ、審査会場は点数の減少にも関わらず、前回よりもむしろ活気にあふれていた。また予測された通り大災害そのものをテーマとした作品が、少なからず目についたのも新しい今回の傾向を示すものといえるだろう。
 審査1日目、入選作の選出に入るが、例年と異なり午前のみで予定の入選点数にほぼ近い数字となった。午後は選外作品の再チェックを行い、新たに数点の入選作を決め、最終的に145点を決定した。
 第2日目、午前中に入選作から受賞作品10点を選び出す作業を行う。続いて審査員全員で作品それぞれの評価を検討し、用意された制限時間の切れる寸前で大賞以下10点の受賞作品が決定した。
 瀬木慎一氏は、第3回大賞展(2005年)の講評で次のように述べられておられる。

“作品に関することとは別のもう一つの感想を付け加えなければならない。
端的に受賞者たちの圧倒的な若さである。大賞作品の24歳を驚異的として、ただ一人の44歳が例外となるすべてが20-30代というこの若年層の全面的な進出は、一体どういうことなのだろうか。”
と。

 ところが今回の大賞、準大賞受賞3作家の平均年齢はなんと69歳。また20代作家も含まれるが、優秀賞等を受賞された8作家の平均年齢も41歳、受賞作家11名の年齢を平均すると49歳と高く、これまでにはなかった特異性を示している。“一体どういうことなのだろうか。”
 天災と人災が重なり、増幅された今年の大きな災害とこの特異な現象とが、無関係だとは決して言い切れないであろう。広く社会的、心理的変動を抱える状況を今語り尽くすことはできないが、それによって表現作家たちの心が強く揺さぶられている事実だけは充分に理解される。
 大賞、準大賞受賞の3作家とも、これまで何度も入選されてきたベテランたちだが、今回の作品はいずれも出色の出来栄えであった。大賞のカドノアキラ氏の作品題名は審査終了後に知ったが、ズバリ「予兆 ’11-3-11」である。不安にかられて走る犬をシルエットで表し、その背後に町の建物が見える。情報的な画像ではなく、緊張感に満ちた犬と画面の構成によって、より惨事の前兆と不安感が強く表現されている。
 いつも感じることだが、応募作にはモノクロームや黒を基調とする地味で、暗い作品が多い。しかしその中で、準大賞を受賞した小山京子氏の作品は突き抜けるような黄色が印象的で、ひときわ目立つ存在だった。と言っても派手さとは無縁の、エスプリの効いた控えめな表現に、作家の才気が感じられたのである。一方鈴木敏靖氏の受賞作品は、どちらかと言えばモノクロ調の作品であるが、注意深く着色された地色といい、繊細な形象の転写といい、完璧な技に支えられた後に見えてくる、表現の深さや静謐感が見事であった。題名が “Reflections-2011-3”とあり、カドノ氏と同じくこの作品も東北への鎮魂歌なのであろうか。
 終わりに、大賞展の審査、開催等の準備に当たられた、実行委員会皆様のご苦労に心から感謝を申し上げたい。

野田 哲也(千葉県)
審査員
版画家 東京藝術大学名誉教授

 山本鼎版画大賞展は今回で5回目を迎える。審査には、これまでの審査委員長、瀬木慎一氏が今年3月急逝をされたので、今回から審査員に上田市出身の洋画家で武蔵野美術大学学長の甲田洋二氏が加わり、審査委員長は黒崎彰氏が努めた。また、事務局長に上田市立博物館の新館長、林和男氏が就任されたこともあって、審査の第一日目はまずこれまでの審査方法の反省と今回の方法が検討された。版画とは何か、ということから始まり、この公募展の出品規定のことまで詳細にわたり討議が交わされたことはたいへん有意義であったといえよう。授賞に関しては今回新たに30才以下の出品者を対象にしたキリンビール賞が設けられた。作品応募総数は,前回に比べると下回ったようであったが、だからと言って、作品の質が低下したという印象は全くなく、むしろ、全体的に質の高い作品がそろっていたように思われた。
 その証拠になるとも思われることが、最初の入選作品選抜終了後、事務局の報告で判明した。これまでの大賞受賞者が2名も今回また出品しているというのである。そこで、委員会ではその大賞受賞者の作品についてはどう対処するのか、授賞作品選抜を前に真剣に討議が交わされたのであった。ぼく自身は大賞受賞者の作品も公平に審査して授賞に値すれば賞を与えれば良いのでは、とも思ったが、この大賞展は新人作家の発表の場として、また登竜門の場でもあるので、この公募展で頂点を極めた者は新人に席を譲ってもらい、今回は入選という形で対処させてもらうのが望ましいということで決着した。しかし、今回からの大賞受賞者については、次回、招待作家として複数点出品してもらい、別室で特別展示をするという方向で、市の方でも新たに予算を取って前向きに検討したいということになった。山本鼎版画大賞展の質を維持し、向上を計るためにもこれはたいへん良いことではないかと思う。
 授賞作品の選抜は、入選作品選抜時と同様、それぞれの審査員が授賞に相応しいと思う作品に付せんをつけて候補作を選出した。作品によっては付せんが何枚もつけられたものもあり、このときカドノアキラと浦江妙子が最高得点を取って注目された。しかし、この時点ではまだ平均的作品に票が集まったに過ぎない、と言う強い意見が出て大賞決定は最高得点者2人からではなく、改めて過半数以上入った得点の作品も含めて実施することになった。その結果、カドノアキラに大賞が決定したのだったが、結果として今回の授賞作品は計らずもモノクロームの作品で占められている。そのこともあってか、準大賞を含む最後の決選投票で色彩が多く使われている小山京子の作品が目を引き、準大賞に躍り出た感じだった。

遠藤 彰子(神奈川県)
審査員
洋画家 武蔵野美術大学教授

 今回は震災の影響からでしょうか「生命」をテーマにした作品が多いように見受けられました。
 大賞の「予兆 '11-3-11」は、重層するイメージによって生まれた奥行きと版画としての平面性が、とても心地よいバランスで調和している作品です。画面から放たれた今日的な空気感は、妙なリアリティとしてこちら側に伝わり、今回の大賞受賞へとつながりました。
 準大賞の「Reflections-2011-3」は、有機的な物体が地中で蠢き、拡散していくかのような、動的な気配を感じさせる作品です。濃淡を駆使し、闇の中から微かに形が見え隠れする調子の幅が、とても味わい深く魅力的な画面となっていました。
 同じく準大賞の「Yellow Landscape」は、夢うつつの境地にいるような伸びやかな抽象性と、鮮やかな色彩が印象的な作品です。和やかな景色とどこか孤独な気配を感じる人間。このアンビバレンスな関係性が、作品をより魅力的にしているように思いました。
 サクラクレパス賞の「Kioku-2011-06-10 どこにいくのか」は、テクスチャーによって鮮やかな黒が引き出され、画面から物質的な力を感じます。版画ならではの深みのある作品に仕上がっていました。
 優秀賞の「老王の宮殿 ―闇に立つ―」は、魔術的な魅力を感じさせる作品となっています。版画特有のビロードのような黒が、「闇」を「美」に変える力を持っているかのようであり、思わず魅入ってしまうような美しさを感じました。
 同じく優秀賞の「kick off」は、銅版画特有の繊細な彫り込みによって、独自の世界観を構築しています。硬質さと柔らかさを併せ持った美しい線は、コミカルな表現の中に高い芸術性を感じさせました。
 版画は、豊かなイメージを表現する芸術性と、版ならではの技術力が融合することによって、はじめて魅力的な作品となりうるのだと思います。デジタル出力をした作品も出品されていましたが、実際の銅版画や木版画などと比べると、物足りなさを感じてしまうのは、元来の版画の持つ物質感や黒インクの持つ神秘性といった、特質的な魅力が損なわれてしまうからではないでしょうか。コンピュータは、完成をシミュレーションする上で使う分には非常に有効な手段だと思えるので、デジタルでの制作を行っている作家は、アナログとの関係性をさらに一考する余地があるように感じました。版ならではの魅力をいかに自らの表現と結びつけるかが重要なポイントだと私は思います。
 今回は例年以上にレベルが高く、選外になってしまった作品の中にも良作が多数ありました。今後とも、表現力や技術力を磨き、自分自身を見つめ直すことによって独自の世界観を築いていってほしいと願っています。
 審査に加わらせていただき、ありがとうございました。

渡辺 達正(東京都)
審査員
版画家 多摩美術大学教授

 東日本大震災により被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。東日本大震災は私に大きな不安と戸惑いを与えました。それは創作活動をされる方皆同じだと思います。今回のコンクール、参加者の作品タイトルが「3・11」とか、津波の作品が出品されていることを考えると私達は深く、重いテーマを与えられたと思います。
 第5回の山本鼎版画大賞展は経験豊富な人達が大賞、準大賞を獲得されました。版という素材を通しての絵画表現は多様でありますが、その版材が強く影響するものです。しかし、最近は凸版(主に木版画)、凹版(銅版画)、平版(リトグラフ、石版画)、孔版(シルクスクリーン、ステンシル)等、これらの版種の領域を越えての研究が進んで成果を生み出しています。例えば木版凹版刷りとか、プリンターと凹版画との組み合わせなどです。
 大賞のカドノアキラ「予兆 ’11-3-11」この作品は水性木版画ですが、凹版画の技法を取り入れ繊細なマチエルを見せています。大変な力作だと思います。
 準大賞の小山京子「Yellow Landscape」は今回の受賞中ただ1人リトグラフ(平版)であり、明るく安定した技術に支えられた作品です。
 準大賞、鈴木敏靖「Reflections-2011-3」(木版、紙版)作品は絵画的であり、繊細なドローイングの様です。
 サクラクレパス賞は浦江妙子の「Kioku-2011-06-10 どこにいくのか」(木版、コラグラフ)です。少々画面が暗いが素材の質感をうまくつかんでいます。
 優秀賞は銅版画が4人、木口木版画1人の5人です。
 東弘治「kick off」(銅版)は、完成度の高い作品でありニードル(針)の描画が絶妙です。
 野嶋革「enlightenment Y」(銅版)はアクアチントの絶妙な明暗の変化が美しい。しかし黒の面積が少し多過ぎると思います。
 池田俊彦「老王の宮殿 −闇に立つ−」(銅版)迫力のある作品です。銅版画の魅力が感じられます。
 長嶋由季「だれだかわからない」(銅版)ぼんやりとしたゆるやかな感じがする銅版画です。
 若月陽子「花びらを/はらはらはらと/捨てながら/実を抱きつつ/野草は立てり/U」(木口木版、コラージュ、手彩色)木口木版画です。雁皮刷でコラージュに手彩作品です。タイトルはもう少し短くてもよいのではないでしょうか。
 30歳以下の作家の為にキリンビール賞が新たに設けられました。受賞者は孔版(シルクスクリーン)作品を出品した池田潤の作品「Trance-Focus-09.О.Ar.F.003」はモノトーンに近い色合いであり密度の感じられる画面です。
 奨励賞、梅田蓉子「nest」(銅版)エッチングとアクアチントの技法でしょう。構成がよいですね。インクに強さが出ると変化すると思います。
 受賞されなかった人達にも良い作品がありました。今後さらに研究制作され若い人達の表現が生まれでることを願っています。

甲田 洋二(東京都)
審査員
洋画家 武蔵野美術大学学長

 今回、初めて審査に参加し、出品作のレベルが高く、粒揃いであり、応募者も全国的に拡がり、大きな規模で成り立っていることを知り、改めて山本鼎版画大賞展が持つ存在の意味深さを実感致しました。400点を越える応募作品を2日間にわたり審査した結果、大賞を含む入選作品145点を選出することが出来ました。カドノ氏の大賞受賞作品〔予兆 ’11-3-11〕はタイトルから読み取れるように、今春3月11日の東北大震災による(原発災害も含めた)大災害に関わる作品でありましょう。
 今回は〔3・11〕が引き起した諸々の現象を直接、間接に遭遇し、体感した、言わば負のイメージを常識的、通俗的に展開させた作品が目立つのではないかと思っておりました。しかし、筆者の愚かな想像とは異なり、一見して表面的で、説明的なその類いの作品は見当たりませんでした。この未曾有の災害は、同時に人間には御しえない巨大なエネルギーの存在をも白日のもとに晒しました。この二重、三重の不幸を抱え込んでの復旧、復興は国民的大事業であり、その事業には幾重にも連なる底なしの悲しみをも背負ってゆくのです。近未来に具現化出来うる自然との本格的共存をも視野に入れて考えてみると、人間の原罪にも触れる途方もなく重く大きな事象であると理解せざるを得ません。その何んたるかを、ここに参加した作家達は感じとっているのでしょう。軽々に作品のモチーフに出来ぬことを。
 カドノ氏の作品は筆者の私論をベースにし再見すると〔3・11〕をモチーフにする負荷を充分に受けとめ鮮やかにはね返しており、モノクロを主体にしたモンタージュ風の作品として成功しております。画面中央に位置する犬のようなものと不可解な足のようなものたちが表現する、動き去ろうとするスピード感は行く先に底知れぬ不安感を示します。建屋風の形態が持つ既視感は、犬らしきものの存在により説明的にならず鋭い刃になっていると思います。この作家の〔3・11〕の連作を願うのは、筆者の勝手過ぎる願望でしょうか。
 準大賞の小山氏の作品は最後まで大賞候補として存在を示していました。画面が明るく美しく、構成はたっぷりしていても弛みがなく成功していると思います。しかし、言い知れぬ虚無感は、何処から来るのでしょう。そこから何か不思議感が浮かび上がるのは大きな魅力になっています。そして準大賞の鈴木氏、サクラクレパス賞の浦江氏に対しても、現代をしっかりと凝視し続ける結果として生みだされた質の高い作品であり好感を持ちます。
 優秀賞の5氏、サクラクレパス賞、キリンビール賞、奨励賞の各氏の作品も自分の表現世界を作り上げている秀作と思います。入選作家も含め、今後の発展を念じます。