山本鼎版画大賞展

このサイトでは、2011年の「第5回山本鼎版画大賞」までの情報を紹介しています。その後の情報は下のリンク先のページに掲載しています。
第6回山本鼎版画大賞展
第7回山本鼎版画大賞展
第8回山本鼎版画大賞展

第5回山本鼎版画大賞展

ごあいさつ

ごあいさつ

第5回山本鼎版画大賞展実行委員会

 1885(明治15)年に誕生し、1946(昭和21)年に64歳にして逝去した山本鼎の名が、その生前のみずみずしさを少しも喪うことなく、今もなお、その生涯の芸術的生活の大半を過ごした「ふるさと」の地に生彩を放ち続けているということは、誠に稀有のことであります。第一次世界大戦の戦火止まぬ欧州から革命前夜のロシアを経る中で、山本鼎が確信した自由闊達な創造性の解放を胸に、自由画と民衆的芸術としての農民美術の種を携えて帰朝した先はこの信州上田でした。折から大正デモクラシーの開花期を迎え、その児童文化面での温床となった「赤い鳥」の誕生も、広く青年層の文学・美術への開眼を促した「白樺」の創刊も、また、学問的啓蒙の先駆的青年運動となった「上田自由大学」の発足も、すべては、この上田の盆地に旺んな機運をもたらしておりました。まぎれもなくこの地こそは、山本鼎によって選ばれるべき絶好の受け皿であったのです。
 その「ふるさと」上田の地において、半世紀後に山本鼎版画大賞展という大輪の花が開き、早くも5回を迎えるに至ったことは、彼が後世に託した思いの数々が今なお燦然と輝きを放っていることの何よりの証といえましょう。そう想いをいたせば、大賞展は回を重ねるにつれて、まさに「山本鼎」とその名を冠するに相応しい独自性を鮮明にしてきていると言っても過言ではありません。
 3月11日の東北大震災から半年以上が過ぎようとしています。愛する者を失った人々の悲しみの深さ、原発事故により住み慣れた土地を追われ今だに戻れぬ人々の苦悩……そのことに思いを至らせる時、我々は今あらためて、生きるとは、命とは、絆とはという根源的な問題に否応なく向き合わざるを得ない事態に直面しています。今回の応募作品には、作家諸氏がこの根源的な問題と真摯に向き合い、深く思索したあとを見ることができました。
 「太くひと筆で、おおづかみに!」
 自由と、力強さと、おおらかさを表す山本鼎のこの言葉が、今我々を勇気づけてくれているように思われてなりません。