寺社の配置
 どこの城下町でも見られることであるが、上田城下町もその周囲に、多くの寺院・神社が集められている。寺社もやはり城下防衛の意味合いも持つものとして、配置されたものと考えられている。上田の場合、特にその東部は、横町・鍛冶町に沿って、寺院が軒を並べている。上田城は水系・地形よりみたとき東側が弱点といえるので、城下町も東方を強化するように広がっている。この東部外郭への寺院の集中配置も、同じ観点からのことといえよう。
 日輪寺、海禅寺(開善寺)、願行寺、八幡社等は、真田氏が、その祖先としている海野氏ゆかりの海野郷の地から移したもの、と伝えている。また常福寺(現芳泉寺)は、一説に真田町角間の松尾城の麓から移ったともいい、大輪寺は畑山から、やはり真田昌幸によって移されたという。
 真田信之は松代へ移ってから、願行寺、開善寺(上田海禅寺)、大林寺(上田大輪寺)、白鳥神社等、真田氏にゆかりの深い寺社を松代城下にも建てている。
開善寺跡に散在する古石塔の部分 / 海善寺区の八幡社 / 天正14年(1586)8月18日 高槻・新木宛真田昌幸朱印状 / 元和7年(1621)12月10日 願行寺宛矢沢但馬守等連署状