懸賞金事業のまとめ
上田城のこれから
上田城にかつて存在した7つの櫓と櫓門。その復元には、写真や正確な設計図など、確かな根拠となる資料が鍵になります。
こうした資料を広く募るため、上田市では復元の根拠となる資料に懸賞金500万円を掲げた事業を実施しました。その結果、令和5年7月から令和8年3月末までの間に、全国から100件を超える資料の情報提供が寄せられました。残念ながら復元に直接つながる資料は見つからないまま、令和8年3月末で懸賞金事業は終了となりました。
テーマ3では、多くの皆様のご協力をいただいた懸賞金事業報告として、未発見だった貴重な資料や、復元には直接つながらないものの、上田城の歴史や市民との関わり、往時の姿を振り返ることのできる資料の一部を紹介します。
寄せられた資料・情報
塩川千恵子さん 提供
一度、遊郭に移築され、城内に戻ってきた現在の南櫓・北櫓。遊郭から現在の位置に移築される際の設計を担当した子孫の方から、連絡をいただき、当時の設計に係る資料の情報提供をいただきました。今回の懸賞金事業の大きな成果です。
実は、この設計書、櫓は2棟あるはずなのに1枚しかありません。
2棟とも形式構造が同じなので2枚書く必要がなかった。と推察されます。
関志保さん 提供
上田城の西櫓・南櫓・北櫓を写した写真を、複数ご提供いただきました。
写真をよく見ると、櫓の周囲に桜が咲いている様子が確認できるものがいくつかあります。
現在も多くの人がカメラを向ける「桜と櫓」の風景ですが、これらの写真からは、明治40年頃にはすでに「桜と櫓」の景観が親しまれていたことがうかがえます。
時代を越えて受け継がれてきた上田城と桜の景色は、市民にとって変わらぬ魅力を持つ象徴的な風景といえるでしょう。
一本槍信男さん 提供
上田藩主松平家で保管されていた「天正年間上田古 図」の写しと思われる史料です。
原図は真田氏時代の上田城を描いたものとされ、松代 藩の佐久間氏(象山か)旧蔵と記されています。寛永 3年(1626)から仙石忠政が復興した上田城の縄張り とは異なる部分が見られるものの、川や水路、地形に ついては後世との整合する部分もあるとの見解が一般 的です。
今後、真田氏の上田城についても、史料が蓄積される ことを望むものです。
小坂篤子さん 提供
二の丸側から南櫓を写した写真。真ん中では、上田城の築城の際に地固めのために舞ったと言われる上田獅子がおさめられています。
南北櫓の移築工事が完了した昭和24年(1949)のしゅん工式典の際に撮影されたものでしょうか。
眞田神社 提供
蔵の扉に描かれていた墨絵を撮影したものとされます。蔵は現存しませんが、江戸時代安政期の上田城を描いたものと伝わっています。神社の創建は明治12年であることから、江戸時代に書かれたとすれば、どのような経過でこれが残ったのでしょうか。櫓がふたつ描かれ、スズメが飛ぶ上田城の景色は、平和な穏やかな日常を示すものとして微笑ましいものです。
中川明美さん 提供
二の丸橋の欄干など、現在の姿とは少し違っている ように見えます。時の鐘は昭和9(1934)年に現在の 商工会議所のところから城内に移転してきました。
今井君代さん 提供
上田城の復元根拠とはとはならなかったものの、当時の様子がうかがえる貴重な資料の情報提供もありました。
明治23年に上田橋が開通になったことを祝う式典の様子を描いたものです。
右奥に小さく描かれているのが西櫓でしょうか。さらに左下には蒸気機関車も描かれています。蚕都として栄えた当時の上田の活気が伝わります。
古田佐智子さん 提供
移築復元された南櫓と左奥に西櫓が写る1枚。南櫓を目の前にしたアングルは、櫓の下の段からだと距離が遠いと考えられます。撮影者はどこから撮影したのでしょう。
当時の写真は、加工されているものも多く、この写真もトリミングされてプリントしたものである可能性があります。
阿部康子さん 提供
上田城を描いた水墨画。中央に描かれているのが西櫓で少し右手には石垣もあり、その上には既に櫓(現在の南櫓の位置)がありません。
西櫓の左手に描かれているのは神社の土蔵で、さらにその奥、建物があります。
これが北東の隅にあった櫓であったら、新発見につながる資料となりますが、残念ながら当時、本丸にあった招魂社が描かれていると推察されます。
※ 上記以外にも多数の情報提供をいただいています
おわりに
懸賞金事業を通じて、市民の皆様から多くの貴重な情報をお寄せいただきました。懸賞金事業は令和8年3月で終了となりましたが、まだ見ぬ古写真や資料の発見に向けた取り組みは今後も続けてまいります。
上田城の7つ櫓と櫓門の復元という夢の実現に向けて、引き続き皆様のご協力をお願いいたします。
明治の廃城から150余年——市民の思いが幾重にも積み重なり、上田城の復元はいま新たな段階を迎えています。寄せられた資料・情報の調査・研究を着実に進め、7つの櫓と櫓門が再び上田の空にそびえる日を目指して、多くの皆様のご協力をいただきながら取り組みはこれからも続きます。