近代器械製糸

丸子町の文化発展の礎となったともいえる養蚕と製糸業。しかし昭和四年のニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけとして始まった世界恐慌は、アメリカ市場に依存していた日本の製糸業にまで打撃を与えます。こうした中で 製糸工場は次々と軍需工場に転用され、ここに生糸の町といわれた丸子の製糸工場は、ほとんど姿を消すこととなりました。

丸子地区の養蚕業

養蚕・製糸業とともに発展した丸子町(現上田丸子地区)。製糸業の発達により、製糸家のみならず、地域全体がうるおうこととなりました。街は活気に満ち、生糸の取引を通じ交流のあった横浜やアメリカの文化が直接もたらされました。
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養蚕年表

養蚕業の歴史を年表としてまとめました。三世紀に百済(くだら)よりもたらされた養蚕及び絹織物の技術は、その後、信濃国へも伝えられ、平安時代には、糸・絹の納入国として「延喜式(えんぎしき)」に記載されるまでになります。
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映像「丸子町の養蚕業」

丸子町で最後の養蚕農家として、中村千昭さん、つねよさんが春蚕(はるご)を育てた1ヶ月の記録です。映像収録は株式会社丸子テレビ放送が行い、「最後のお蚕さん」として放送した映像をもとにアーカイブ化しました。
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「依田社」日本最古のPRフィルム

米国向けに制作した宣伝映画の一部と思われるフィルムです。依田社の品質をPRするためのものと、女子工員を集めるために見せたと思われるデモンストレーション用のフィルムがあります。
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