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1583 真田氏 2代 1622 仙石氏 3代 1706 松平氏 7代 1871 廃藩 置県

上田城と歴代上田城主

3棟の櫓と櫓門

上田城

櫓とは、城郭で遠くの敵の様子をうかがったり、射撃のために城壁などの上に設けた高い建築物をいいます。上田城本丸跡の石垣の上には現在、三棟の二階建ての櫓が建っています。

元和8年(1622)、真田氏に替わって上田藩主となった仙石忠政は、寛永3年(1626)に幕府の許しを得て上田城の復興工事にとりかかりました。しかし、忠政は同5年に病死し、普請工事は中断されたままになりました。そのため、この櫓もこの間に建てられたもの考えられます。

櫓は、本丸にだけ建てられ、ほぼ同じ形のものが全部で7棟ありました。いずれも建て直した記録はなく、寛永の建物が明治維新に至るまで、そのままであったと考えられています。

明治維新後、そのうち2棟は売却され、西の櫓1棟を残し、そのほかは取り払われました。

売却された2棟は、市民の熱意により買い戻され、昭和18年から24年にかけて再移築されました。それが現在の南・北櫓です。

現存する3棟の規模は全く同じで、屋根は入母屋造り、本瓦葺きです。1階は桁行9.85m、梁間7.88m、2階は桁行8.64m、梁間6.67mです。2階は1階より二尺(60.6㎝)ずつ内側に入れた梁の上の土台に柱を立てています。つまり、1・2階を通している柱はなく、1階の上に縦横とも四尺ずつ縮小した2階を、そのまま乗せた形となっています。

外の壁は、1・2階ともにそっくり土壁で覆う「塗籠」で、軒下3分の2ほどを横板張りとしています。この形は寒冷地に多く、また、初期城郭建築の様式でもあります。

この3棟の櫓は長野県宝に指定されていますが、中でも西櫓は江戸時代初期に建てられたままの城郭建築として特に貴重な建物です。なお、平成6年(1994)には、東虎口櫓門が復元され、かつての東虎口の城門の姿がよみがえりました。