真田十勇士
穴山小助
 武田家の家臣の出である。武田家滅亡後、小助の父は、小助を連れて戦場を渡り歩く。やがて、真田家の家臣となり、幸村の郎党に加えられる。真田幸村と同年で、体つきも容貌も似ていた。
 関ヶ原の敗戦の結果、幸村が紀州九度山に落ちたときも幸村のお供をし、浪人生活の労苦をともにしているが、後に真田屋敷を出て姫路に行き、漢方医をしながら諸国の動向を探る。
 大坂冬・夏の陣にも、幸村の影武者として真田の出丸から六文銭の大旗を風にひるがえし、徳川方の大軍を散々に撃ち破った。ことに、夏の陣では、「我こそは真田左衛門佐幸村なるぞ」と、大音声を発し、徳川方の勇士を討ち取った末に、家康の本陣に切り込み壮絶な戦死を遂げる。

■猿飛佐助  ■霧隠才蔵  ■三好清海入道  ■三好伊三入道  ■穴山小助
■由利鎌之助  ■海野六郎  ■根津甚八  ■望月六郎  ■筧十蔵
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(参考図書)
(『歴史と旅』昭和55年8月 特集戦国豪傑と十勇士 秋田書店 ) (『別冊 歴史読本』平成8年10月 真田一族のすべて 新人物往来社 ) (『物語 真田十勇士』平成5年10月1日発行 銀河書房 ) (『真田幸村のすべて』 新人物往来社 平成元年5月10日発行)