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蘇民将来符 その信仰と伝承
牛頭天王祭文
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牛頭天王祭文の読み下し文と口語訳

牛頭天王祭文の部分写真このページには牛頭天王之祭文の読み下し文と口語訳がテキストとして掲載されています。口語訳には注の番号が付され、補足・関連情報に解説があります。資料等としてお使いください。文中の『□』は判読できない文字を表しています。

牛頭天王之祭文読み下し文

牛頭(ごず)天王(てんのう)()祭文(さいもん)

維当(これまさ)(きたる)(とし)(なみ)吉日(きちじつ)良辰(りょうしん)を撰び定めカケ□□□

((カ)()()(ケ))ナクモ牛頭(ごず)天王、武荅(むとう)天神、

婆梨(はり)妻女(さいめ)八王子(はちおうじ)奉請(ぶじょう)して(もう)して言わく、急ぎ

上酒を散共(さんぐ)(供)し再拝再拝す、

謹請(きんじょう)す、第一()(王子)ヲバ生広(しょうこう)天王(てんのう)ト申す、

謹請す、第二之(王子)ヲバ魔王(まおう)天王ト申す、

謹請す、第三之王子ヲバ倶摩羅(くまら)天王ト申す、

謹請す、第四之王子ヲバ達你(たつに)迦天王ト申す、

謹請す、第五之王子ヲバ蘭子(らんし)天王ト申す、

謹請す、第六之王子ヲバ(とく)(たつ)天王ト申す、

謹請す、第七之王子ヲバ神形(じんぎょう)天王ト申す、

謹請す、第八之王子ヲバ三頭(さんず)天王ト申す、

(つつし)(うやま)いて(もう)す、散共(さんぐ)(供)して再拝し酒を(けん)(たてまつ)る、(そもそも)昔シ

武荅(むとう)天神()本誓(ほんぜい)(つた)()(たま)わルニ、()()

二十万恒河沙(ごうがしゃ)ヲ去りテ、須弥山(しゅみせん)ヨリ

北ニケイロ界ト()(ところ)有リ、並ニ白キノ

御門(みかど)ト申す、(その)()()、今()牛頭天王

(いま)だキサキノ宮定リ給ハズ、其時南天竺(みなみてんじく)

ヨリ(より)山鳩(やまばと)ト申す(つばさ)一把(いちわ)、天王()御前ノ

梅ノ木ノ枝ニ羽ヲヤスメサエヅル様ヲ、

其時(そのとき)(しずか)(いで)(きき)(たま)ウニ釈迦(しゃか)()龍宮(りゅうぐう)

(ひめ)宮ヲハシマス、(その)(おん)カタチイツク

シク(して)、三十二(そう)八十(しゅ)(ごう)

具足(ぐそく)シ給ウ、(これ)ハ牛頭天王ノキサキニ

定リ(たまう)ベシトサヤヅル、其時天王キイノ

(おもい)(なし)テ、長本元年丙刀(ひのえとら)(寅)正月十三日、恋ノ

(みち)ニアコガレ南海ノ(おも)ヲサシテ出給(いでたま)ウ、

未申(ひつじさる)ノ時、折節(おりふし)ツカレニノゾミ給ウ

程ニ、日モハヤ(ばん)セキに及ぶ、ココニ大福貴(ふうき)

ナル家有リ、主ノ名ヲバ小丹(こたん)長者ト名付(なづ)ク、

天王ハ立ち()リ給テ宿(やど)(かり)(たま)う時、宿ハナシト

答ウ、天王(かさね)テノタマハク、(ただ)(かし)(貸)給エト有リ

シカバ、小丹(おお)いニイカリヲ(なし)()父類(ぶるい)

眷属(けんぞく)ヲ以テ(おい)出シ(たてまつ)ル、天王更ニ(およ)()(して)

小松ノ中ニ(かく)(たま)ウ、其後(そののち)()(じょ)出来(いできた)ル、(なんじ)(汝)

我ニ宿ヲ(かせ)(貸)トノタマウ、下女(こたえ)(いわ)く、我ハ

(これ)小丹長者之内ノ(もの)也、(しかる)此人(このひと)ハ我ガ身ノ

富貴ナルニ(より)テ人ノ(うれい)ヲモ知らず、往来(おうらい)ノ人

ヲモ(あわれ)ミ給う事モナシ、御宿(おやど)ハ安キ事ニテ

(そうら)(ども)然間(しかるあいだ)御宿ハ(かの)()からず、(これ)ヨリ東方ニ

一里(ばかり)行テ御宿ヲ借給(かりたま)ヘト申す、(ゆき)()

(らん)ズレバ、(まつ)ノ木四十二本有ル(ところ)(ひとつ)

木陰(こかげ)有リ、(ここ)立寄(たちより)御宿ヲ(かり)(たま)ウ、(その)

(おんな)(いで)テ答エテ(いわ)く、(われ)()れ人間ノ(もの)御覧(ごらん)

ズルカ、雨風ヲ(ころも)トシ(まつ)ノ木ヲ(たい)トシテ

(すぐ)ル者也、是自(これより)東ニ万里(ばかり)行テ(こころざし)有ル

人アリ、(それ)ニテ御宿ヲ借給エト申しケるニ、行

給テ宿ヲ(かり)給うニ、蘇民将来ハ立ち(いで)(いわ)く、我ハ

()れ人間ノ(かたち)ト成テ(そうら)エドモ、貧賤(ひんせん)無極(むごく)

シテ(よっ)て一夜ノ宿飯(しゅくはん)ニ成シ申スベキ物モナシ、

御座(ござ)成申(なしもう)(べき)(ところ)()シト申す、牛頭天王

重テノ(たま)ハク、タダ()(貸)シ給エ見苦シカラジ、

(なんじ)(汝)ノ食飯ヲタビ給エト有リシ時、蘇民将来

()居所(きょしょ)ヲ取リ(はらい)(あわ)ガラヲ敷キ、千((ほし)

(むしろ)ヲ御座トシテ請奉(うけたてまつ)ル、粟ノ飯ノ(ゆう)

飯ヲマイラセ(むね)(やす)メ奉ル、其ノ夜モ

様々(ようよう)(あけ)ケレバ、御出立給(おんいでたちたまい)出行給(いでゆきたま)ウ時、

蘇民将来(もうし)(もうさく)(きみ)如何(いか)成方(なるかた)行給(ゆきたま)うト

申す時、天王ノタマウ、我レハ釈迦(しゃか)羅龍(らりゅう)

(ぐう)姫宮(ひめみや)婆梨(はり)妻女(さいめ)ト申す人ヲ恋

(たてまつ)リ、南海ノ(おも)(さし)テ行く者也、(しかる)

小丹長者ノ宿ヲ(かさ)(貸)ザル其の(うらみ)(おおい)(なし)

(よって)小丹長者ヲバ罰識ニ(ふせ)テ、来世ニハ

(れい)(癘)気ト成テホロボスベシト有リシ

カバ、蘇民将来()(いわ)く、小丹長者ガ(よめ)(おの)

ムスメニテ(そうろう)、小丹長者ヲバ(ばつ)シ給ウ(とも)我等(われら)

ムスメヲバ御除(おのぞき)給エト申し(たてまつ)レバ、其レハ

安キ事也ト天王(のたまう)テ、柳ノ札ヲ

(つくり)テ蘇民将来之子孫也ト書テ、

男ハ左、女ハ右ニ(かく)(べし)、其レヲシルシニ

ユルスベシトテ、古丹長者ヲバ罰識(ばつしき)

()せ、牛頭天王ハ南海ヲ差テ出給(いでたま)ウ、

其の(のち)釈迦(しゃか)()龍宮(りゅうぐう)ノ姫宮ニ(あい)(たてまつ)りテ

十二年()内ニ王子八人マウケ

給テ帰国シ給ウ、其ノ部類(ぶるい)眷属(けんぞく)

九万八千有リ、古丹長者ハ此事(このこと)

請給(うけたまい)テ、魔王ノ(とお)ルトテ四方(しほう)ニ鉄ノツイジ

ヲツキ、天ニ鉄ノ(あみ)()リ、屋堅(やかため)(して)

居給(いたま)ウ、又蘇民将来ハ請給(うけたまい)テ、金ノ

宮殿(くうでん)(つくつ)()チ奉ル、牛頭天王()

(らん)(じて)如何(いか)ナル事ト(とい)給ウ、蘇民将

(こたえ)(いわ)ク、(きみ)ノ御通リ(たま)ウ後、(てん)()リ宝

()り、地(より)泉ワキ(いで)テ、七珍(しつちん)万宝(まんぽう)(みち)

(みち)タリ、(しかる)ニ君ヲ三日留奉(とめたてまつ)ランガ(ため)也ト

申ス、然間(しかるあいだ)三日(みっか)留給(とどまりたまい)テ、古丹長者ガ(ところ)

使(つかい)ヲ立テ見セ給ウニ、四方天地ヲ(とじ)

()()(よう)モ無シト申ス、其時天地ニ()

ヲ入テカガセ給ウ程ニ、善知識(ぜんちしき)ノ水ノ

(なが)ルル(ところ)有リ、カキ入レテ九万八千()

眷属ヲ以テ、七日七夜之内(のうち)ニホロボシ

給ウ、其後、小丹ガ子孫ト(いわん)者ヲバ

一人モ立ツ(べから)()(のたま)う、又其時(より)、蘇民

将来ノ子孫ヲバユルシ給ウ、当病平癒(へいゆ)

身心安穏(あんのん)息災(そくさい)延命(えんめい)福寿(ふくじゅ)増長(ぞうちょう)

七難(しちなん)即滅(そくめつ)、七福則(即)生、家内(けない)富貴(ふっき)

子孫(しそん)繁昌(はんじょう)(こと)ニハ(じゃ)(邪)()(おん)(怨)(りょう)呪詛(じゅそ)ヲバ

万里()外ニ払ヒ、牛頭天王、婆梨(はり)采女(さいめ)

武荅(むとう)天神、八王子、(じゃ)毒気(どくけ)神王等()

部類(ぶるい)眷属(けんぞく)愛愍(あいみん)()納授(のうじゅ)ヲし給ヘト、

(うやま)いて(もう)す、再拝々々す、上酒を散共(さんぐ)(供)す、

謹請(きんじょう)す、(かしら)五体の病ハ武荅天神ニ申し給ウ()シ、

謹請す、口ノ病ハ婆梨細女ニ申し給ウ可シ、

謹請す、足ノ病ハ大良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、(はら)ノ病ハ次良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、(のど)ノ病ハ三良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、胸ノ病ハ四良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、手ノ病ハ五良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、腰ノ病ハ六良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、モモノ病ハ七良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

謹請す、(ひざ)ノ病ハ八良ノ王子ニ申し給ウ可シ、

南斗北斗、讃歎(さんたん)玉女、左青竜、

右白虎、善(前)朱雀、御(後)玄武

急々如律令

梵字離 遊梵字

文明十二年庚子(かのえね)((月))廿八日 書写(しょしゃ)(おわん)

牛頭天王之祭文口語訳

牛頭(ごず)天王(てんのう)()祭文(さいもん)*1

ここに来たる年*2、よい日よい時を撰んで、

恐れおおくも牛頭(ごず)天王*3武荅(むとう)天神*4

婆梨(はり)妻女(さいめ)*5、八王子*6をお迎えして、申し上げます。急いで

良い御神酒をお供えし、何度も礼拝いたします。

(つつし)んで、お迎えいたします。第一の(王子)は生広天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第二の(王子)は魔王天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第三の王子は倶摩羅天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第四の王子は達你迦天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第五の王子は蘭子天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第六の王子は徳達天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第七の王子は神形天王と申します。

謹んで、お迎えいたします。第八の王子は三頭天王と申します。

(つつ)しみ(うやま)って、お供えして礼拝し、お酒を(ささ)げます。そもそも昔より伝えられている

武荅(むとう)天神の誓願(せいがん)の物語りによりますと、ここより

恒河沙(ごうがしゃ)*7というはるか遠く、須弥山(しゅみせん)*8という山の

北にケイロ界*9()う所があります。そしてそこを治めている方は白きの

御門(みかど)(帝)*10と申します。その王子、すなわち今の牛頭天王が

まだお(きさき)がお決まりにならない時、南天竺(みなみてんじく)

から山鳩が一羽飛んできて、天王の御前の

梅の木の枝に羽を休め、さえずっていました。

その時、牛頭天王はそっと出て、さえずりをお聞きになりました。それによると「釈迦(しゃか)()龍宮(りゅうぐう)*11には龍王の王女がいらっしゃいます。その姿はたいへん美しくて

三十二(そう)、八十種好*12という特長を

そなえられています。その王女こそ定めし牛頭天王の(きさき)

ふさわしいでしょう」というのです。その時に天王は不思議な

(おもい)にかられ、長本元年*13の一月十三日に恋の

(みち)にあこがれ、南海の方面をめざして出発されました。

午後も遅くなりますと、天王はお疲れになられ、

そのうち日も早く暮れてしまいました。ちょうどそこにたいそう富んだ

家がありました。主人の名は小丹長者*14といいます。

天王はお立ち寄りになられ、一夜の宿を頼みましたが、「貸す宿はない」と

断られました。天王がふたたび「宿をお貸しくだされ」と頼むと

小丹長者はたいへん怒って仲間や

一族で天王を追い出してしまいました。天王の望みはかなわず、

小松の中にお隠れになられました。その後に下女が出て来ましたので、その下女に「お前さん、私に宿を貸してくれんか」と天王はおっしゃりました。下女が答て言うことには、「私は小丹長者の家の者です。この人は自分が

お金持ちのため人の悲しみがわからず、道行く人を

気の毒に思う事もありません。お宿をお貸しすることは簡単ですが、

こうした事情でお宿はお貸しできません。ここから東方に

一里ほど行ってお宿をお借りなされ」と申しました。行って

みると、松の木が四十二本ある所に、一ヶ所の

木陰(こかげ)がありました。ここに立寄(たちよ)って宿を借りることにしました。その時、

(おんな)が出てきて答えて言うことには、「私が人間の者と見えましょうか。

雨風を着物として、松の木を本体として

過ごしてきた者です。これより東に一万里ほど行きますと、親切な

人がいます。そこでお宿をお借りなさいませ」と申しました。それでそこへ行って

宿をお借りになられました。すると蘇民将来*15という者が出てきて言うことには、「私は

一人前の人間の姿をしていますが、たいへん貧乏で身分が低く、

一夜の宿の食事とすべきものも、

あなたのような方をお泊めするところもございません。」と申しました。牛頭天王が

重ねて、「ただ宿をお貸しいただければ、それでけっこうです。何も気になりません。

あなたが食べる食事をいただければけっこうです」と言われました。すると蘇民将来は

住んでいる所をかたづけて(あわ)がらを敷き、ほした

(むしろ)を敷いて牛頭天王の休みどころとしました。また粟の飯の夕

飯でもてなして、その心を安らかにしてあげました。その夜も

ようやく明けて、さあ出発という時に、

蘇民将来が、「あなた様はどちらへいかれますか」

と申しますと、牛頭天王はおっしゃいました。「私は釈迦(しゃか)羅龍(らりゅう)

(ぐう)の姫君の婆梨(はり)妻女(さいめ)という人を恋

してしまった。そこで南海の方面をめざして旅行している者です。ところが、

小丹長者が宿を貸してくれなかった。その(うらみ)は大きい。

だから小丹長者を罰してやりたい。将来には、

厄病神*16となって滅ぼしてしまおう」といわれました。

すると蘇民将来は、「小丹長者の嫁は、自分の

娘です。小丹長者を罰しなさるとも私の

娘はお(のぞ)きください」と頼みました。「それは

かんたんな事である」と天王はおっしゃって「柳の木*17でお札を

作り蘇民将来之子孫也と書いて、

男は左側、女は右側にかけておきなさい。それを目印として

許してやろう」といわれました。そして古丹長者を罰して

やろうと、牛頭天王は南海をめざして出発されました。

その後、釈迦(しゃか)()龍宮(りゅうぐう)の姫君に出会い結婚されて、

十二年のうちに王子を八人もうけて

帰国されました。その仲間、従者は

九万八千人もありました。古丹長者はこのことを

聞くと、魔王が通るといって、四方(しほう)に鉄の塀

を築いて、上空には鉄の網を張り、屋敷を守り固めて、

おりました。また蘇民将来はこれを聞いて、金の

宮殿を造って、待っておりました。牛頭天王はこれをご

覧になられて、「これはどうしたことか」と問いたずねました。蘇民将

来は答て、「あなた様がかつてお通りなされた後、(てん)より宝が

降り、地より泉がわき出でて、あらゆる珍しい宝物で

いっぱいになりました。それであなた様を三日間お泊め申し上げたいのです」と

申しました。そんなわけで、天王はそこに三日間お泊まりになられ、古丹長者の所ヘ

使者を送り、様子をうかがわせたところ、四方と天地を封鎖して

入ることもできないと言います。その時、天地に咲く

*18を入れてかがせているうちに、善知識(ぜんちしき)の水*19

流れている所がありました。そこから侵入して、九万八千の

従者達によって、七日七夜のうちに小丹長者の一族を滅ぼして

しまいました。その後「小丹長者の子孫という者は、

一人も生きることはできない」とおっしゃられました。またその時より蘇民

将来の子孫は許され、繁栄したということです。病気が治り*20

身も心も安穏で、長命になり、幸福が増しますように。

七種の災難*21がなくなり、七種の幸いが生じ、家内は富んで、

子孫(しそん)繁昌(はんじょう)しますように。ことに邪気(じゃき)(おん)(りょう)呪詛(じゅそ)

一万里のはるか遠くにおい払われますように。牛頭天王、婆梨(はり)(さい)()

武荅天神、八王子よ、(じゃ)毒気(どくけ)神王*22などの

仲間や従者よ、あわれみを()れ、願いをお聞きください。

(うやま)って申し上げます。重ねて礼拝いたします。 上等な酒を散らしてお供えします。

謹んでお願いします。頭や五体の病は、武荅天神に平癒(へいゆ)のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。口の病は、婆梨細(はりさい)()に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。足の病は、太郎*23の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。(はら)の病は、次郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。(のど)の病は、三郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。胸の病は、四郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。手の病は、五郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。腰の病は、六郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。モモの病は、七郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

謹んでお願いします。(ひざ)の病は、八郎の王子に平癒のお願いを申し上げます。

南斗北斗*24、讃歎玉女、左青竜(せいりょう)

白虎(びゃっこ)、前朱雀(しゅじゃく)、後玄武(げんぶ)よ。

急々(きゅうきゅう)(にょ)律令(りつりょう)*25

梵字離 遊梵字*26

文明(ぶんめい)十二年(1480年)庚子(かのえね) 十一月二十八日 書き写し終った

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補足・関連項目

*1牛頭天王之祭文

祭文とは、神仏に対して祈願や讃歎の心を述べる文章のことで、神道・儒教・仏教いずれでも用いた。日本では神仏習合のもとに、神道の祝詞(ノリト)類を仏教の声明調の節回しで読み上げた。仏教においては、諸宗派を通じて用いられ、祈願や追善の法会に読誦する。平安時代から世俗化し、中世には陰陽師や修験者(山伏)らによって庶民の間に広まり、後に娯楽的要素が強まり、日本芸能の源流の一つともなっている。
牛頭天王や蘇民将来に関する物語は、古いものでは『備後風土記』「逸文」、『伊呂波字類抄』(鎌倉初期)、『祇園牛頭天王縁起』(年代不詳、鎌倉期か)、『ほき内伝』(安倍清明著と伝えられるが、鎌倉期以降の成立と推定される)などにその縁起が記されている。この牛頭天王の物語や信仰が、「祭文」の形式をとり祭事の時に読み上げられたのである。さまざまな祭文が伝えられているが、文明十二年(1480、室町中期)に書写された信濃国分寺所蔵のものは、最も古いものの一つである。
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*2ここに来たる年

このような祭文は法会の度に繰り返し読まれたので、その年月日を入れて読み上げることが多い。一応このように訳しておいた。
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*3牛頭天王

もとは古代インドのコーサラ国の首都、舎衛城の南の祇園精舎(ギオンショウジャ)の守護神とされる。祇園精舎は釈尊や弟子達のために造られた寺院。蘇民将来物語の主人公である牛頭天王は薬師如来の化身(垂迹)ともいわれる。一方、牛の角をもち夜叉(ヤシャ)のように恐ろしい姿であらわされ、疫病をつかさどる猛威ある御霊的神格でもあったことからスサノウとも習合して、京都祇園の八坂神社などに祀られて疫病除けの神として信仰されている。
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*4武荅天神

本祭文ではその関係が明確ではないが、他の縁起や祭文では牛頭天王の父王ともあるいは異名ともされる。その源流は不詳。「武塔神」とも表記される。「タケアキラノカミ」「タケトウノカミ」などと訓じ、日本古来の神とする説もあるが、牛頭天王と同様に異国の神であろう。
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*5婆梨妻女

本祭文の後半には「婆梨細女」と表記されている。他の縁起や祭文では、「婆梨采女」「頗梨采女」等の漢字が当てられている。「頗梨(ハリ)」とは水晶を意味する梵語であるが、これに由来する名前であろうか。後に出てくる釈迦羅龍王の娘であり、牛頭天王の妃である。
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*6八王子

牛頭天王と婆梨妻女の間に生れた八人の王子。個々の名前は諸本に異同がある。なお『ほき内伝』等には、それぞれに暦の吉凶をつかさどるとされる大歳神以下の八将神(暦神)を配当しており、牛頭天王説話と陰陽道や暦法の関係が深いことが知られる。
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*7恒河沙

恒河はガンジス河のことで、ガンジス河の砂の数のように多いことをいう。ここでは非常に遠い距離を意味している。
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*8須弥山

仏教の宇宙観で世界の中心にそびえる非常に高く巨大な山。梵語でスメールあるいはメールという。これを漢字で「須弥」と表記したもの。意訳して妙高山ともいう。頂上には帝釈天の宮殿があり、山腹には四天王の住居がある。周囲は八山と八海で囲まれており、その海中に四つの大陸があるとされる。
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*9ケイロ界

須弥山の北方にある大陸、北倶盧洲(ホククルシュウ)のことを指すと思われる。梵語の「クル(倶盧)」を訛ってケイロと表記したのであろう。界は領域、世界のこと。仏教の世界観では、須弥山の東西南北には、東勝身洲・南贍部洲・西牛貨洲・北倶盧洲の四つの大陸があり、南贍部洲がわれわれの住む大陸である。なお他の縁起や祭文では、牛頭天王の国を「倶相国」「九相国」「吉祥国」「豊饒国」等と述べている。
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*10白きの御門

ケイロ界の別名ともいえるが、牛頭天王が武荅神の王子であるとする縁起や祭文もあるので、ここでは御門は皇帝の意味に解釈した。なお「白き」とは「新羅」を示すと考えられないこともない。ケイロ界と朝鮮半島はあまりにもかけ離れているが、牛頭天王と習合するスサノウは高天原を追放された後、新羅に渡ったとされているからである。
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*11釈迦羅龍宮

「沙竭羅龍宮」あるいは「沙伽羅龍宮」と表記するのが普通である。沙竭羅龍王の住む宮殿のこと。この龍王は、法華経説法の時に聴衆の中に参列していた八大竜王のひとり。古来から請雨法(雨乞い)の本尊として信仰された。法華経によれば、八歳になったばかりのこの龍王の娘が、法華経に説く行を修したことによって即身成仏したと述べられている。他の縁起や祭文には、この龍王には三人の王女があると述べている。法華経によって成仏した王女が長女で、牛頭天王の妃になった婆梨采女が三女であるとされる。
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*12三十二相、八十種好

仏菩薩にそなわる三十二および八十の優れた特徴のこと。足下安平立相(偏平足である)、正立手摩膝相(直立したとき手が膝に届く)、広長舌相、(舌が顔を覆うことができるほど大きい)、肉髻相(頭頂に隆起がある)、白毫相(眉間に白毛がある)などがよく知られている。転じて、女性の容姿が美しく優れていることを「三十二相のそなわった美人」などと形容する。ここでは美人の意味。
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*13長本元年

日本、中国に「長本」の年号はない。『ほき内伝』には「長保元年(999)6月1日、祇園精舎において30日の間、巨丹を調伏す」とあるので、長保の誤記とも思われる。ただし長保元年の干支は己亥であり、本祭文にある「丙寅」とは異なる。近い年代で丙寅に当たるのは、万寿3年(1026)である。いずれにせよ史実ではないので架空の年号と見てもよいのかもしれない。
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*14小丹長者

本祭文の後半には「古丹長者」とも表記されている。他の縁起や祭文では、「古丹大王」「巨丹長者」「古端長者」「巨丹将来」等の表記が見られる。『備後風土記』では蘇民将来の弟とされているが、本祭文などでは、蘇民将来の娘が小丹の息子に嫁いでいるとする。いずれにせよ両者は親戚縁者と見なされている。「小丹」「蘇民」ともに異国風の名であり、西域シルクロード方面の古代の国名コタン、(現在の和田(ホータン))や民族名スメルに由来するという説もあるが、確証はない。
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*15蘇民将来

裕福で非情な小丹長者と親戚関係にあるが、ひどく貧しいかわりに情け深い人物として登場する。「蘇民」とは西域シルクロード方面の古代の民族名スメルに由来し、「将来」はスメル語で王を表すという説もある。この点はまだ謎であるが、「将来」とは、未来の意味、あるいは何かを持ってくる意味ではないことは確かであろう。蘇民信仰は、もともと疫病除けの神、牛頭天王に対する信仰であるが、牛頭天王に宿を貸してもてなしたのが縁で、疫病の難を免れた蘇民将来の一族にあやかって「蘇民将来子孫人也」「蘇民将来子孫之門」などと書いた六角や八角柱の木製護符を配ったり、同様の文字を記した紙の呪符を家々の門口に貼って魔除けとする風習が広がった。信濃国分寺の護符は最も有名である。なお国分寺の蘇民符では「蘇」の字を「蘓」に書くのが伝統である。
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*16疫病神

本祭文に「例気」とあるが、これは癘気のことであろう。すなわち流行病などを起こす邪気、霊力である。牛頭天王は疫病をつかさどる猛威ある神としての性格を持つ。このような荒ぶる神をおさめ祭り上げ、逆に疫病除けの神として崇敬することは、日本の民族信仰では例が多い。
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*17柳の木

「桃の木」や「茅の輪」を付けることになっている縁起や祭文もある。柳や桃は中国では霊木とされる。柳は生命力が強く薬木とする地方もあり、桃には邪気をはらう力があるという。茅の輪(チノワ)については理由が不明だが、牛頭天王を祀る神社では6月の夏越の祓え(ナゴシノハラエ)祭における茅の輪くぐり行事となって伝承されている。なお国分寺の蘇民符は、柳の中でもドロヤナギ(ドロノキ、ヤマナラシ)という特殊な木材を使用している。主に小県地方の山地から切り出したものを使っているが、近年は植林もしている。
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*18天地に咲く花……

文意不明。ただし他の縁起や祭文に、牛頭天王が小丹長者の屋敷に送り込んだ使者(密偵)の名を見目(ミルメ)嗅鼻(カグハナ)と記しているものがある。要するに目はしがきき、鼻がきく者のことであるが、「鼻」を「花」と錯誤したことにより、このような表現になったのかもしれない。その場合、意味としては「非常に鼻のきく者を潜入させて様子を探らせると……」となろう。「天地に咲く」の意味は判然としない。
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*19善知識の水……

注18と同様、文意不明。ただし他の縁起や祭文の多くが、小丹長者が屋敷を守るために千人の僧侶を集めて経典を読誦させていたが、その中に怠ける僧がいたので、そこにつけ込んで牛頭天王の部下が攻め込んだ、という筋書になっている。善知識とは仏教の良き指導者のことで、僧侶をさすこともある。これを参考にすると「屋敷を守るために経を読誦している僧の中に、怠けている者があった」という意味にとれる。「水が流れる……」の意味は不明。いずれにせよ、注18の部分から続くこの一節には、錯誤や省略があると思われる。
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*20病気が治り……

以下は祈願の内容。すなわち牛頭天王の祭事を行うことによってお願いする様々な御利益が述べられる。
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*21七種の災難

仏典に説かれる七種の災難。『仁王般若経・受持品』『薬師経』『法華経・普門品(観音経)』等に述べられているが、内容は異なる。この七難が消滅することで諸々の幸いが得られることを「七難即滅七福即生」という。
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*22毒蛇気神王

どのような神か不詳だが、『ほき内伝』などでは、牛頭天王の八王子のうち第八番目を「毒蛇気神」と記している。本祭文では「三頭天王」とする。
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*23太郎

原文は「大良」と表記されているが、以下に次・三・四……の王子が続くので、長男の意味の「太郎」である。
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*24南斗北斗……

以下に道教系の神や神獣の名が羅列される。「北斗」は北斗七星を神格化した神で北斗星君という。北斗星君が死を司る神とされることに対し、生を司る神として考えられたのが「南斗」すなわち南斗星君である。北斗七星の第一星以外の六星をさす。「玉女」とは道教において、神々に祈りを伝える神の役人(神吏)で、金童・玉女としてペアで登場することが多い。「讃歎」とは玉女を讃歎するという意味か。「左青竜」等は中国古代より信仰された東西南北を象徴する神獣。四方の守護神とされ、「青竜」は東、「白虎」は西、「朱雀」は南、「玄武」は北に配当される。本祭文では前後左右の関係に置き換えられている。なお「善」は前、「御」は後である。誤記か、あるいはこのような表記が当時あったのだろうか。
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*25急々如律令

道教の呪文。もともとは中国で公文書の末尾に「如詔書」「如律令」などと書き、文書終止のしるしとした文句。後に墓の中に入れる文書の最後に書くようになった。日本では八世紀末より、護符・呪符・魔除符・まじない文や修験道関係の文書に書かれ、魔物を退散させる呪文とされた。ふつう「行政文書(律令)のように遅滞なく執行せよ」の意と解釈される。なお読み方は「キュウキュウニョリツリョウ」「キュキュウジョリツレイ」などがある。
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*26梵字

字体は古代インドから仏教とともに伝わった梵字(インドのアルファベット)であるが、意味不明。ふつうこのような場所には、仏・菩薩・明王・諸天・諸神の真言が書かれることが多い。何らかの神仏を表す真言と思われるが、確定できない。
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