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はじめに〜山極先生ってどんな人?〜

山極先生
明治30年頃の山極先生。
〔東京大学医学部人体病理学・
病理診断学分野所蔵〕

明治維新前夜、信州上田に生まれた山極勝三郎は、東京帝国大学を卒業後ドイツに留学し、病理学者としてペスト、脚気、癌などの研究にその生涯を捧げるとともに、数多くの後進を育てました。

大正4年(1915)には、市川厚一助手とともに世界で初めて人工的な癌の発生実験に成功して癌の発生原因の解明に道を拓き、後年ノーベル賞の候補にも推薦されました。残念ながら受賞には至りませんでしたが、その後の医学の進歩により、今日では博士の研究こそがノーベル賞にふさわしい業績であったことが実証され、世界的に評価されています。

山極博士は、東京で多忙な学究生活を送りながらも、上田郷友会の創立に携わり、俳号を千曲川にちなんで「曲川」と号するなど、郷里上田を愛しつづけた人でもありました。

人工癌発生の偉業から90年余の歳月が過ぎましたが、癌との闘いは、今日も続いています。山極博士の確固たる意志と卓越した研究業績は、数多くの医学関係者に脈々と受け継がれており、いまだに輝かしい光芒を放ち続けています。