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俳句でみる人柄(2/2) 〜山極先生ってどんな人?〜
大正10年(1921)、お嫁に行くかわいい娘の梅子さんの花嫁姿を見て一句。
嫁姿 見てほくそ笑む おやじかな
その梅子に子どもが生まれ、この孫が、ときどき先生のところへ遊びにやってきた。ところが、書斎にいるひげをのばした先生の顔を見ては、こわがって泣き出してしまう。これには、さすがの先生も、参ってしまった。そして、とうとう先生は、そのひげをそり落としてしまった。
孫泣くで じじはやぎひげ そらせけり
あごなでて こわくはないと孫を呼び
■ 在職25年記念祝賀会の喜びを詠んだ自筆の句 在職廿五年祝賀会開催の広告を見て 「祝賀会の声に病人もち直をし」 上野精養軒の祝賀会 「祝賀にはよき背景や花の山」 祝賀を受くる心持 「門なみとありても嬉し祝賀会」 「意気をこそめでられもしつ祝はれ つ」 住宅 「店だてはやうやくこれで免疫よ」 「五十五年始めて我か家住まひけり」写真 「梅桜青葉若ばにしわ白髪」 「子供等の丈夫そうなに安心し」 大正六年四月祝賀会の后 曲川 額面 「似たる外油絵らしきを宅にかけ」 置時計 「優雅なる響を代々に伝ふべく」 懐中金時計 「これならば妹にひけをとるまじく」 「主人よりお先に御免かふむりて」 「奥さんがほしさうじゃとて気をきかし」 |
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■ 『曲川句集−病める凡人の声−』 大正12年(1923)12月刊行。勝三郎が若い頃から親しんできた俳句の第一句集。東京帝国大学退官の記念として刊行した。 左は滝沢虎次郎(妹末子の夫)、右は三女花子に贈ったもの。 〔上田市立第三中学校所蔵(左)・岡崎光雄氏寄贈(右)〕 |