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ウィルヒョウ(1821〜1902)

ウィルヒョウ
ウィルヒョウ博士肖像
ドイツ歴史博物館(DHM・ベルリン)の
HPより、ドイツ連邦共和国大使館提供

ルドルフ・ルードヴッヒ・カール・ウィルヒョウ(Rudolf Ludwig Karl Virchow)は、1821年生まれのドイツ人。

プロシアの陸軍士官学校で医学を学び、医師となるが病理学、生物学、人類学、民俗学、考古学などの各分野で多大な業績を残す。

特に病理学では、細胞病理学、比較病理学の分野の基礎を確立し、癌の発生原因として刺激説を提唱した。

後年の山極・市川による人工癌発生実験は、この刺激説を実証するための実験でもあった。また、ベルリンの衛生環境改善のために市議会議員となり、後年には、ドイツ帝国議会議員まで務めた。

山際先生は、結核治療の新薬とされたツベルクリンの研究のため、明治24年にドイツに派遣され、コッホ博士のもとで学ぶが、後にウィルヒョウ博士に師事して明治27年に帰国するまで病理解剖学を学んだ。ウィルヒョウからは多大な薫陶を受け、生涯の師として尊敬していた。