ペストの研究 〜研究と実績〜
山極先生は明治29年年末から翌年正月にかけてペスト研究のため衛生学教授の緒方正規らとともに台湾に出張した。これには、北里柴三郎と東大内科教授の青山胤通(たねみち)によって、日清戦争直前の27年夏にホンコンで行われたペスト調査が関係している。北里は青山が解剖で得た材料を使って病原菌を発見し、その結果をイギリスの雑誌に発表した。すこし遅れてフランスのエルザンも病原菌を発見した。この調査のとき青山、北里の助手石神亨、現地の医師中原某がペストに感染した。中原は死亡したが、青山と石神は助かった。
エルザンの菌はグラム染色法で赤く染まった。一方北里は自分の菌は青く染まり、こちらが本物だと主張したので、わが国では、どちらがペストの本当の病原体なのかが問題になった。
日清戦争後にわが国の領土になった台湾にペストが発生したとき、この問題に直面した。内務省は北里の菌で決着済みということで動かなかったので、東大から緒方教授と山極先生が出張することになった。二人はエルザンの菌が正しいことを確認した。さらに緒方はペストの流行にはネズミのノミが役割を果たしていることを発見した。
明治32年11月、阪神地区にわが国最初のペスト流行があったとき、北里は自分の誤りを認めた。そのため北里はペスト菌の発見者としては認められない時期があった。しかし、ホンコンからコッホに送っておいた細菌がエルザンのものと同じことがわかり、北里もエルザンとは独立にペスト菌を発見していたことが認められるようになった。
■ 『ペスト病論』完 増訂三版 初版は、明治32年(1899)12月に刊行された。 ペスト菌は、明治27年(1894)に香港で北里柴三郎によって発見され、日本での発生が懸念されていた。明治29年に日本領となっていた台湾でペストが発生し、総督乃木希典の要請により、勝三郎は緒方正規とともに台湾へ調査研究のために出張した。 〔東京大学医学図書館所蔵〕 |