真田信之
 昌幸の長男で幸村の兄。2代上田城主。幼名は源三郎、受領ずりょう名は伊豆守。
 天正13年(1585)の神川合戦では、徳川の大軍を相手にまわし、父昌幸を助けて奮戦する。時に20才の青年武将であった。
 後、弟幸村が秀吉に出仕したのに対し、信之は家康に出仕する。
 関ヶ原の合戦では、昌幸・幸村と別れ、徳川の臣として、父弟のこもる上田城攻めに従う。そして、その合戦後、父の遺領である上田(小県)3万8,000石と加増3万石を与えられ、いままでの沼田2万7,000石を加えて、合計9万5,000石の領主となった。
 しかし、信之は沼田に在城したまま、小県の領政も行い、上田城へその本拠を移したのは、元和2年(1616)頃であった。
 そして、元和8年(1622)には、松代10万石へ移封となる。
 明暦4年(1658)93才という高齢で没するが、晩年まで藩主の座にあり、松代藩の基礎を固めた。
真田信之画像 / 真田信之木像 / 慶長6年(1601)8月5日 飯島市之丞宛真田信之安堵状 / 慶長6年(1601)8月7日 飯島市之丞宛真田信之朱印状 / 慶長6年(1601)8月12日 長井権介宛真田信之宛行状 / 慶長6年(1601)8月11日 下郷之六供・社人衆宛真田信之安堵状 / 慶長6年(1601)8月12日 信綱寺宛真田信之安堵状 / 慶長6年(1601)8月12日 開善寺宛真田信之安堵状 / 慶長13年(1608)6月13日 白山寺宛真田信之朱印状 / 慶長13年(1608)6月13日 工藤長七宛真田信之朱印状 / 生島足島神社摂社諏訪社本殿 / 諏訪社本殿棟札

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